文化認識論。最初のレポートをちゃんと出した(=単位取得の可能性が現時点で残っている)のが4人で、うち2人が私の基礎演習履修者。だから一見さんに限ると最初の1ヶ月で実は9割以上が逃げたことになります。不可になったレポートは3本で、盗作が2件、指定条件不備(テキスト未読)が1件。
でもそれで良いです。もう全部の講義を通してもらえる額と同じくらいのお金は教材買うのに使いましたから。リアルボランティア。家族にも負担かけてやってる。だったらそれくらいの覚悟がある学生以外は相手にしたくないです。
立教大学不思議なとこで、ゆるい学生はもう救いがたいくらいゆるいまま卒業していきますね。でもちゃんと鍛えると、信じられない成長を見せてくれる。それを見るのだけが楽しくてやってるようなもんです。
今日は何年ぶりという学生たちに二人会いました。一人は立教大学で教えた最初のセメスター(2007年度後期)に受け持った学生。1年休学してフィリピンで教育NGO立ち上げてたから、まだ卒業してなかったんです。あのクラスで一番優秀だった学生の一人なんですが、3年ゼミのゼミ室を出たとこに立っていて、「先生、お久しぶりです!」と。
もう一人はその次の年度の前期にやった全学共通カリキュラムを受けていた学生で、何度も休み時間に質問に来るなど、凄く真面目に勉強していた子です。当然Sで単位を取って、それから全く会うことが無かったんですが、フェイスブックで久しぶりに話が出来て、今日はうちの4年ゼミの子に会いたいというので顔を出してくれました。
そうそう、先週は、3年前の1年ゼミでいたぶった子たちが、卒業アルバムに一緒に写りたいんで来てくださいといって連絡してくれた。まだみんな仲が良いんだそうです。単位を出さなかった学生まで顔を出して「先生、おひさしぶりです」って、結構凄い世界でしょ。
これはやはり、本気で全力で最善を尽くして教えようとしてた気持ちが伝わったからなんじゃないかと思ってます。勝手に。4年前3年前なんて、やっぱ未熟だったですよ私も。でもテンションだけはmaxだった。いや今もそうですけどね。それだけのテンションでやったら、やっぱ何か残るんかなあと最近感じています。学期終わって試験の教室出た瞬間に名前も講義の内容も忘れる学生300人に単位出すよか、5年後10年後にも教師の名前や内容を憶えているであろう学生3人を教えたいよな。
もちろん私きびしいだけじゃないっすよ。ちゃんと食いついてきた学生たちは就活サポート全力でやってます。キャリアセンター主催のOBOG懇談会で何か勘違いした大手商社2年生の偉そうなボクちゃんとか登場したそうですが、こんどその会社の課長級の友人にゼミ生何人か会わせますから。他にもちゃんとやってる学生会わせるのは、部長とか本部長とか社長とかのクラスですよ。この偉そうな私がアタマ下げてお願いして回ってます。11月だけでそういう案件、三つか四つ入ってます。当たり前ですよ。楽して単位集めることしか考えてないやつなんかどうなろうと知ったこっちゃないですが、ちゃんと勉強したやつは引っ張り上げてやりたいよね。
最後、こないだ、就活に悩む3年ゼミ生に送ったメールを転載しときます。うちはこういうとこね。こういう発想を理解出来ない人は来ない方が良い。
まだ大学3年でしょ。世間的に見れば何のスキルも経験も無い青二才で当たり前。今必要なものは勇気だけだよ。みんながためらっている時に、少しだけ勇気を出して前に出る。その違いがどんどん広がっていくってティナ・シーリグの本にもあった。KもMもEもSもRも、勇気を出して前に出たからインターンシッププログラムで勉強して来れたし、本人たちはわかってないだろうけど、教えてる側から見たらもう別人なくらいに変化している。 自分の為と思ったらなかなか勇気って出ないもんだけど、今、君たちが大学で勉強してるのは自分の為じゃないんだよ。1990年に地球に生まれた奴って1億人くらいはいるだろうけど、20歳まで生きられなかった奴も、小学校にも入れなかった奴も100万単位、下手したら1000万人以上いるわけ。先進国に生まれて、カネにも才能にも不自由せずに立教なんて名門大学に入れた奴ってのは、地球全体で見たら同世代の中でも一番恵まれた1%の中に入ってるの。 そう考えたらまず、こんな恵まれた立場にいる以上、頑張って勉強して、大人になるまで生きられないとか小学校にも行けないなんて奴が減っていくような未来を創る責任があるだろ。自分の力で将来、何万人の子供の人生を救える可能性だってある。 それから将来、自分の家族たとえば夫や子供、あるいは仕事を通して繋がっていく人たちのことも考えないと。 今は君たち殆ど何も出来ないけど、10年後、20年後の君たちの力を必要とするはずの人はきっと何十人、何百人といる。俺自身、大学3年の時にはそんなこと気づいてなかったけど、その時その時でこれは頑張ろうと思って取り組んで来たことが、いま全部、君たちを教えて育てることに役立ってるから。 翻訳の仕事をしたことも、修士課程や博士課程で勉強したことも、全部今に繋がってるね。MやKやEやSが行ったTNTエクスプレスのインターンシッププログラムだって、出発点は博士論文で音楽の存在論を研究したことが巡り巡ってE営業本部長と知り合う流れになったし、大学出てしばらくカメラ量販系の人材派遣会社の事務所で働いてたことも、写真のゼミを持つきっかけになった。その写真のゼミでMやRやSやEと出会ったし、一般企業で働いていたから、一般企業に話を持っていってインターンシッププログラムを立ち上げる時の手順もわかったんだよ。 もともとは本当に小さなことで、そうした点と点が繋がって大きな流れに育っていった。でも個々のきっかけは、勇気を持って一歩踏み出すことから全部始まったと思うよ。