脱線演習(上)

 昨日から、今年度の基礎演習で使う最後の某テキストを使った講義に入りました。いやもう学生たちの鬱な表情が面白くってねえ。せっかく事前に「この本に書いてあることの9割は読んだその場で忘れろ」というプリントを配っておいたのに、それでも「全然わからなかったです」との声ばかり。

 面白いので、「何がわからなかったのか?」「何故、この本に書いてあることはわからないのか?」を皆で考えさせてみました。

・文体がわからない
・抽象的な話ばかりしている
・事例の紹介が多すぎる

 主にこんな意見が出ましたが、事例の紹介が多い理由(知識自慢)や、抽象的な話ばかりの理由(難しさ自慢)は既に説明してあるので、ここでは文体がダメダメな理由を詳しく解説。

私「そもそも、日本列島で学問が始まったのはいつ頃だと思う?」
Sくん「江戸時代ですかね?」
私「全然違う。もっと前だ。」
Hくん「奈良時代?」
私「よし、ここでちょっと落ち着いて整理してみよう。学問って具体的にはどんなことをする?」

 学生たちからは「人の話を聞く」「先生の話を聞く」「掘る」「考える」「書く」「本を読む」「調べに行く」などの声が上がります。

私「そうそう。学問と言ったって要はそういう単純な行為を組み合わせたもんだよな。このうち情報を入手する方法が『人の話を聞く』『本を読む』『調べる』だ。そうやって情報を集めた上で『考え』て、その成果をアウトプットする。つまり『書く』。この一連の作業の中で、これが無いと学問がやれないってもんがあるだろ。」
学生「・・・・そうか、漢字が伝わってから学問がやれるようになったんだ!」
私「じゃあ漢字が伝わったのはいつだ?」
学生「古墳時代?」
私「だな。古墳時代、そして飛鳥時代にかけて、中国から朝鮮半島を経由して文字が伝わってきた。ところで、文字が伝わる前、知識ってのはどうやって世代間で伝達されてたか知ってるか?」
学生「・・・・・?」
私「日本最古の歴史書って何だ?」
学生「古事記ですか。」
私「そうだ、古事記だ。あれが出来たのが7世紀末(完成は8世紀)。じゃあさ。7世紀までの日本列島の歴史についての情報ってのは、どうやって貯蔵してあったのよ? この時代の人間の寿命なんて30歳くらいだぞ。ってことはだ。100年前のことを自分の目で見て憶えてる奴なんか居ないに決まってる。じゃあどうするんだ?」
学生「・・・・・?」
私「日本列島に限らない話だけど、文字を持たない民族ってのは、特に記憶力の良い奴を選んで、そいつに民族の歴史を丸暗記させるのよ。歌なんかにしてな(叙事詩)。古事記の場合はどうだった? 日本史の授業で習わなかったか? Yさん、どうよ?」
Yさん「私、世界史だったんで。」
私「そう来たか(笑)。 ・・・・・古事記の場合は稗田阿礼という男が丸暗記していた情報を使って書かれたってことになっている。って知らないの?」
学生たち「知らないです」
私「まあええわ。そうやって漢字が導入されて、本も書けるようになって日本列島で学問が始まった。それからずっと基本的には中国から入ってきた新しい学問を日本でも勉強するということをやっていたんだけど、江戸時代にはオランダからも学問を輸入するようになった。蘭学というやつだな。明治になって帝國大学というものが設置されると、ドイツやアメリカからも研究者が呼ばれて教えるようになった。でも日本でヨーロッパ式の大学教育が始まった時、君らが今使ってるような日本語で書かれた教科書なんか無かったわけだ。そりゃ当たり前だな?
 最初に日本で大学教育を受けた連中は、原書つまり外国語の本を使って勉強した。その時にどうしても、日本語に訳すという作業が必要になる。そこでどうしたか。彼らは、元の本から単語単位で日本語に訳していった。これを逐語訳という。ところがドイツ語だの英語だのの文法は日本語とは全く違う。だから逐語訳ではどうしても日本語の文章としておかしなものになっちまう。
 でも連中はそれで構わなかったんだ。何故かというと、連中は原書を読むための参考としてそういう逐語訳を使ったから。今みたいに翻訳書だけで勉強するってことはやらなかったのよ。机の上には常に原書とそれを逐語訳したノートが置いてあった。
 今、俺みたいなプロの翻訳家は逐語訳はやらない。そういう翻訳はクソ翻訳だということになっているからね。俺たちは文章単位で日本語に変換していく。じゃないと変な日本語になっちゃうもんな。わかるだろ? でも明治時代に原書で勉強していた奴らは、違う考え方をした。文章単位での翻訳をやると、原書の持つ正しい意味が損なわれると考えた。原書をきちんと読むためには逐語訳でなければ駄目だと。つまりだ。彼らは訳文を書いたノートをでっかい単語帳として扱っていた。ま、それはそれで良いんだ。原書を読むためのツールという限定された目的をもつものだったら。
 ところがことはそれだけで終わらなかった。いつの間にか、この逐語訳のクソ翻訳体が学問をするための正しい翻訳文だって勘違いが広まっていったんだな。帝大で勉強した連中が、その後、日本各地に出来た大学の先生になって、逐語訳でやる学問というのを広めていったわけだ。この影響は二つある。
 一つは、研究者のやる翻訳。翻訳業界では、一般に『学者の翻訳は駄目』と言われている。何故なら、逐語訳をしちゃうからだ。逐語訳の翻訳書で学問をやるという明治以来の伝統がいまだに続いているんだな。
 もう一つは、翻訳調で論文を書くのが格好いいって勘違いの蔓延だ。学問のための正しい文体は逐語訳翻訳調だってみんながいつの間にか思いこんじゃった。その典型がこの本だ。何か日本語っぽくないだろ? リズム変だもんな。これ、要は訳文調なのよ。著者は、これが格好いい、これが学問のための正統な文体だって思ってやってんの。」