学校も危ないけれどね

 少し前に、ホクレアやマカリイの事例に学ぶ一つの方向性というお話で、土曜学習あるいは総合的な学習と郷土文化教育の積極的なリンクについて書きました。あの時には分量の都合で敢えて省いた話があるのですが、昨日起こった悲劇とも関わるので、今日書いてみたいと思います。

 学校の安全とか運営とか管理責任という問題です。

 土曜学習のお話はある一地方の実践例だったのですが、実はそういう試みはその地方に限られているわけではありません。別の地方、私の住んでいる所でも、まさに土曜学習というべき取り組みがあります。公立学校が外部の人々と協力して、土曜日に子供達(その学校に通う子に限らず)を集めて、色々な体験学習や講演会を開催しているのです。詳しくは書きませんが、日本でも一流と見られる人材を積極的に呼んでいたりします。

 ところがね。この取り組み、その学校の施設が使えないんです。敷地の中にも入れない。何故かって? 安全ですよ安全。仮に学習中に誰かが怪我したらどうなるのか。モノが壊れたら。昨日のように犯罪者が乱入して来たらどうなるのか。どうなるのか、というのは、誰が責任を取るのかという事です。学校が責任を取る? その為には安全対策や運営の細部について膨大な報告書を教育委員会に提出しなければいけない。教育委員会の方でここは不充分となれば、何度でも再提出の刑です。ただでさえ雑務に追われて教材研究や生徒とのコミュニケーションの為の時間が足りないのに、さらにそんな仕事まで先生にやらせたら、今以上(今でも充分に過重労働なんですが)に先生の健康は損なわれるでしょうね。経験豊かで有能な教師を使い潰してしまう。無理使いしなければ40年持つ人材でも、過剰な負荷をかければ5年10年で潰れてしまいます。それでその人材に投資された資金はパア。その人材に蓄積された経験もパア。

 だから、学校は使えない。入れない。もったいないけどしょうがない。

 今、多くの学校がこういう状況になっています。本当はどんどん学校に来て、使って、勉強して欲しい。けれどももはや教職員だけでそこまで面倒見るのは不可能な所に来ている。今は何かあればすぐに訴訟ですから。学校の先生対象で、生徒や親に訴訟を起こされた時の為の保険商品が当たり前に売られ、当たり前に加入されている。そんなご時世では、学校も教育委員会もリスクは可能な限り回避していくしかない。

 もちろん、そうじゃない学校もある。何かあったときは自分のクビが飛ぶけど、それで責任取るから、どんどん学校を開放していけ。どんどん地域の人に来て貰おう。そういう校長もいます。でも、それって変ですよね。校長がクビを覚悟しないと学校と地域が交われないって、どういう国ですかそこは。

 今必要なのは、地域の力だと思います。地域コミュニティが自分たちの財産として学校を護り、育て、メンテすること。例えば地域で教育NPOを作って、土曜学習については教育委員会がそこに運営を委託する。総合学習でもどんどん地域の力を借りる。そうやって行った方が良いです。学校を「サービス業」と見て、学校間で競争させて、学校選択制度で住民の危機感を煽るなんてのは、あまり賢い方法ではないと思っています。公立学校は地域に根ざしており、地域と不可分のものです。どこかにある「マシな学校」を住民個人個人が選ぶんじゃなくて、地域住民が、自分たちの学校を手入れして、自分たちの子供や孫を預けるに相応しいものに育てていく方が良いと思います。

 当然、昨日のように犯罪者が飛び込んで来る事もあるでしょう。でもね、学校を要塞化して部外者は一切入れないような所より、地域の人々がいつでも気軽に顔を出して、ちょっとお手伝いして帰れるような、そんな所のが良いんじゃないでしょうか。たしかにリスクは残ります。でも、そのリスクを取ってもやるべきメリットがそこにはある。

 そう思います。

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亡くなられた鴨崎先生のご冥福と、負傷されたお二人の一日も早い回復を、心よりお祈り申し上げます。