国粋主義的知識人の私は小1の児童に鑑真和上様の話を暑く語る

小学校の長い長いサマーブレイクが終わりまして、ようやく子守り&トラベルエージェントの重責から解放されてございます。

やっと講義準備が出来る・・・はずが、何故か今読んでいるのは磯崎新と福田和也の対談『空間の行間』(2004)。古代から現代までの日本の建築やランドスケープデザインを、同時代の思想状況や政治状況をもとに読み解くというコンセプトですね。

続日本紀とか待庵とか修学院離宮とか式年遷宮とか九鬼周三とか当麻曼荼羅とか。大日如来や毘盧遮那仏が何故南面していて、阿弥陀如来が何故東面しているのかとか。

五臓六腑に染み渡るこの感じですよ。これこれ、これがないと日本に生まれて知識人やってる甲斐が無いじゃん。

今朝もハーバードの社会学者が、成人時にモルガンスタンレーやらなんやらで高級取りになるとこから逆算してガキの頃からスポーツだ育児サークルだこれが今のグローバルマッチョの子育てだって記事書いてて、バカだなあこいつ20年後に今のセオリーが通用するのかよと思いましたが、ほんと、そんなこと考えてるよか、祖国の文化の粋にきちんと触れさせてやる方が絶対大事ですよ。

そんなわけで昨日は息子と夕食を食べながら、日本国家の成立(飛鳥時代)と仏教伝来、鑑真和上様の日本渡航、そして唐招提寺の空間デザインがいかに素晴らしいかについて話してやったのでした。

時間が無かったんで、「実は唐招提寺を手がけたアーキテクトはペルシア人だった」という、最後のグローバルなどんでん返しまで行けなかったのが残念。つーか鑑真和上様も日本人じゃないっすね。