先日行われたチェルシーvsウェストブロムウィッチの試合をテレビで見ていましたら、これは見慣れた光景なのですが、試合開始前に両チームの選手達がセンターサークルに集まって、1分間の黙祷を捧げていました。
イングランドのサッカーでは、割とよくあるセレモニーです。世界のどこかで悲惨な事故や事件があった際にも行われますし、クラブゆかりの人物が亡くなった時にも行われます。かの伝説的名選手、ジョージ・ベスト氏の逝去の際の黙祷はちょっと変わっていて、1分間、ベスト氏の栄誉を讃える盛大な拍手で送ったスタジアムもありました。日本のスポーツは私、全く見ないので、こういったことをやっているのかどうかは知らないですが、イングランドのサッカーの中継ですと、黙祷も完全に放送するんですよ。アナウンサーもこの間は黙る。ただ、場内の風の音だけが、センターサークルで肩を組んだ選手達の映像とともに流れます。
さて、今回の黙祷はチェルシーのかつての名選手、ピーター・オズグッドさんに捧げられたものでしたが、珍しかったのは、オスグッドさんに加えて、チェルシーのホームスタジアムであるスタンフォード・ブリッジの食堂で働いていた17歳の少年に対しても、黙祷が捧げられたこと。満場を埋めた大観衆に向けて、場内アナウンスがこの少年の名前とクラブへの貢献(食堂で働くのだって立派な貢献ですものね)を紹介し、オズグッドさんとともに1分間の黙祷で彼を送りました。
こういうのって、まさに昨日書いた「サッカーを媒介としたコミュニティ」の存在を感じさせてくれる一コマだと思います。「キング・オブ・スタンフォード・ブリッジ」と呼ばれた伝説的な名選手と、クラブを愛した名もない少年が一緒に追悼される。普段忙しく生きていると気づかないですが、実際に黙って1分間何もしないで過ごすというのは、それなりに長い時間の経験です。こういった時間をみなが共有することで、自分たちはコミュニティなんだと再認識するんですね。
黙祷。なかなか良いアイデアだと思います。
ところで、今日は全ての都立学校で1分間の黙祷が実施されます。
何故だかわかりますか?
61年前の今日、深夜零時を過ぎた頃に来襲したアメリカ軍の爆撃機の大編隊が、およそ10万人におよぶ非戦闘員の東京市民を無差別に殺戮したんです。江東区一帯は壊滅し、被災者は100万人を越えました。一般市民の家屋を、しかも寝込みを襲って、無差別に虐殺する。悪魔の所行です。
だからアメリカ人を許すなとは言いません。しかし、そういった歴史は記憶していかなければならない。だから黙祷。
みなさんも、61年前のこの日惨殺された10万人余の冥福を祈ってあげてください。