隠れ里

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 今日は(寒さでブレーキレバーを握る左手が麻痺寸前だった昨日とはうってかわって)暖かな日差しが降り注ぐ長閑な散歩日和だったので、近所の穴場スポットを息子と散策してきました。

 多摩丘陵の南向きの斜面はたいがい宅地化されていて、里山として残っている場所の大半が宅地化に不向きな「北向き」の「急斜面」なんですが、ここは珍しく南向きの斜面が里山として残っている場所。きちんと管理されていて、他の里山のようにネザサとか常緑樹が藪化して入れないなんて体たらくではありません。紅梅が満開になっていて、ほんのりと梅の香りが匂う中、他に誰もいない里山を息子と二人満喫。

 幸福とはまさにこのことです。

 色々な市民会議に顔を出していると、これからの子育てのスタンダードは「共働きの夫婦が各種の公的サポートを受けながら子供を保育園や学童保育に預けて安心してフルタイムで働いている」状態である、ということが何の議論もなく所与の前提とされているように感じます。

 ですが、その図式の中に、今日私が経験した至上の幸福は存在しえません。

 ところで皆様おぼえておられるでしょうか。ホクレアの船尾付近の部材に「KAPU NA KEIKI(聖なる存在としての子供たち)」というモットーが彫り込まれていたこと。あの意味が最近よ~くわかります。1歳とか2歳くらいの子供というものは、毎日のように何か新しいものを身につけていくんですが、それは毎日そばで見ている私にとっては、どこかこの世ではない別の場所から毎日のように息子の中に素晴らしいプレゼントが送り届けられてきているような感覚です。

 つまり、子供そのものが、この世と異世界を繋ぐ聖所になっている。日本各地には聖なる泉とされる場所がたくさんありますが(例えば鳥取県米子市の「天の真名井」など)、そういうものを見ているのとほとんど同じ印象を受けますね。あの世から素晴らしいものが常に湧き出してきている場所。

 そんな素晴らしい場所を毎日見ていられる幸福が子育てにはあります。もしも経済的に可能なのであれば、仕事からしばらく離れて子供の傍に居た方が良いです。人生の中でも1度出来るか出来ないかという、貴重極まりない経験になりますから。