一昨日くらいでしたか、先日開校した私立のろう学校の中学部設立資金が足らない・・・というニュースが流れました。
この学校の名前は「明晴学園」。日本手話という、日本のろう者の方々が使っている言語を主に教育に用いているという点で、現在では(大正時代以前には結構ありました。もっとも当時の日本手話と現代のそれはかなり変化していると思いますが)日本唯一のろう学校です。現在は幼稚部と小学部しかないのですが、中学部も作りたい。そのためには6月までにあと2600万円集めないといけない。
そんな感じでしたか。私もこの方面の研究をしていますから、明晴学園のことはもちろん知っています。ですが、私は公立のろう学校の教育内容改善の手助けが出来ればという立場でろう教育関係の研究をしてきましたから、あまり詳しいことは知らなかったんです。お金、集まったら良いですね。でも、私自身は今のところは明晴学園に寄付はしたくないかな。今のところは。
何故かと申しますと、これは明晴学園の方々というよりはその周囲の方々の問題だと思うのですが、明晴学園を応援される際に日本の公立ろう学校に関する間違った情報を流す方が非常に多いからなんです。その際たるものが「日本の公立ろう学校では手話を使っていない」あるいは「日本の公立ろう学校では手話を禁止している」というデマで、実際に色々な公立ろう学校を見学している私からすると、これはあまりにも酷い嘘だと感じます。
もちろん、現在の日本の公立ろう学校には人事制度上の大きな制約があり、手話が殆ど使えない先生も少なくありません(他の校種から異動してくるので)。こうした先生方の授業はどうしても補聴装置(補聴器・人工内耳)に頼ったものになるので、聴覚活用が苦手な児童・生徒の学習に対する大きな障壁になっているのは事実です。ですけれども、手話が非常に堪能な先生方も少なくないですし、手話による教育方法の研究は多くのろう学校で日常的に行われています。例えばこの本は、京都府立聾学校の校内研究会の成果をまとめたもの。他にも大塚ろう学校や坂戸ろう学校、三重聾学校、大阪市立聾学校、久留米聾学校、広島ろう学校などなど手話の積極的な導入で知られている学校は幾つもありますし、それ以外の聾学校でも「手話を禁止している」学校は、私の知る限りでは存在しません。高等部の授業など、場合によっては本当に声を使わないで手話だけでやっていることもある。私はこの目で見ましたよ。
ちなみに私のインタビューしたある先生(非常に手話の上手い方で、授業以外の場では声を出さずに手話のみで生徒と会話しておられます)などは「手話で教えれば全てうまくいくというのなら、明日からでもやりますよ」と笑っていらっしゃったですね。というのも、公立のろう学校には聴覚活用が得意で、あまり手話を必要としていない児童や生徒だって当然通っていますし、そういう児童・生徒の保護者さんたちの中には「手話ではなく日本語で教えて欲しい」というニーズがある。そういう方々だって、ろう教育の重要なステークホルダーです。切り捨てるわけにはいきません。それだけではないです。重複障害というのですが、ろう学校の児童や生徒の中には、聴覚障害以外の障害も持っている者が決して少なくない、むしろ増えているのです。何故ならば、新生児医療の水準が上がった結果、かつてなら生き延びられなかったような子供たちでも障害を持ちながらも生き延びて、ろう学校に通って来られるようになったからです。それはとても良いことなのですが、教える側からすればよりきめ細かい対応、工夫が必要になりますから、大変なわけです。
そういった「本当の公立ろう学校の姿」を無視して(というか最初から知らないし、知ろうという気も無いのかもしれませんが)、あたかも明晴学園だけが手話による教育に取り組んでいるように語ってしまうのはいかがなものか。私は、こういったうわさ話が広まるのは良くないことだと思います。私たち市民は教育現場の現状を可能な限り正確に把握し、その弛まぬ改善を支え、あるいは促さなければいけません。必要なのは事実を伝えること、事実を知ることです。
もう一つ気になるのは、「日本手話で教えたほうが学力が付く」という話ですね。手話で教えた方が絶対に良いという考え方は1980年代から90年代にかけて北欧とアメリカの一部で積極的に取り入れられて、これまでに多くの教育実践がなされました。しかし、私の知る限りでは、統計的に有意な形で「バイリンガルろう教育(手話によるろう教育)」が、聴覚活用を併用したろう教育(新聞などではいかにも手話を排除したろう教育のように書かれていますが、現在では手話も聴覚活用もどちらも利用するのが一般的)よりも優れた成果を出したという事実を立証した論文は、ただの1本も無いはずです。
たしかに日本手話を中心的に用いるろう学校もあって良いでしょう。最近ではろう教育に「言語権」という概念も導入されていて、自分の使いやすい言語(第一言語)で教育を受ける権利を保障する為に、バイリンガルろう教育の場を用意しなければならないとの主張もあります。それも尤もな意見だと思います。
ですが、バイリンガルろう教育の場を作る為に公立ろう学校についてのデマを流したり、科学的に立証されていない「バイリンガルろう教育」の優位性をさも事実であるかのように吹聴する必要は無いでしょう。もちろん、明晴学園を運営しておられる方々が嘘をついているのではなく、話が伝わっていく過程で尾ひれが付いているんだとは思いますが。
明晴学園開校の経緯を一つの物語として捉えたならば、「日本のろう学校は手話を使っていない、それどころか禁止しているんだって! 酷いよね? それでやむなく立ち上がった人たちがろう学校を作ったんだよ。みんなで応援しようよ。」というストーリーテリングはとってもわかりやすいし、善悪の構図もはっきりしていて、どちらを応援したら良いか一目瞭然です。悪いお兄さんの源頼朝に裏切られた源義経がモンゴルに落ち延びてチンギスハーンになったみたいな(いわゆる判官贔屓)。民衆の間で口伝えに義経の悲劇が語り伝えられるうちに、尾ひれ背びれ胸びれまで付いて、別の話になっちゃったというやつですね。
しかしながら、そのバイリンガルろう教育先進国の北欧でも幼児期に人工内耳を装用する子の率は増え続けているといいます。人工内耳というのは、頭骨の中に埋め込んでしまう非常に性能の良い補聴器のようなもので、うまくいけば90デシベル以上の聴覚障害(ほとんど何も聞こえない)が40デシベルくらいの中程度難聴にまで変化するという代物。これを使うということは、聴覚活用をするという選択肢を親が選んだということです。言い換えるならば、手話を活用したろう教育と聴覚活用を併用する方向に進んでいるわけです。
私個人の考えでは、日本の公立ろう学校のろう教育もまたこの流れの中にあるし、それは現時点では最も妥当な選択だと思うのです。何故ならば、公立ろう学校は聴覚障害児を授かった全ての保護者のニーズを考慮して運営されなければならないし、そうなれば手話活用と聴覚活用のいずれも採用するというのが、ごく常識的な結論です。それは、「手話を使わない」とか「手話を禁止する」という都市伝説とは本来無関係のものです。
そんなわけで、どうにも割り切れないものを感じている私は、邪魔はしないまでも積極的に応援する気分にもなれないのでした。
2018/11/27 追記
明晴学園がテレビに出るたびにこの記事へのPVがドカンと来るので、今思うことを三つ。
1) 全国の公立ろう学校に日本手話がネイティブレベルで上手い教員を配置する一番良い方法は「凄い高給で募集する」です。なんで2言語ネイティブ+教免+特別支援免許なんてスーパースペックの人材を雇うのに年俸2500万円くらい出さないの? ハイスペック人材には相応のお金を払え。当たり前の話。それが用意出来ないんなら文句言えませんよ。
2) 明晴学園万能、ではないようです。明晴学園が合わなくて公立に転校する子も皆無ではないという噂は聞いています。
3) NHKとTBSは明晴学園以外のろう学校も取り上げるべき。話題性があるからって明晴学園ばっかテレビに写すのはフェアな報道じゃないよね。