マスコミやネットは飽きることもなく「教育問題」を論じ続けております。このウェブログも。
教育は論じられないよりは論じられる方がずっと良いのですけれども、最近、どうにも腑に落ちないのです。「本当に『最近の若い者は駄目』なのか?」と。一応、私は教科教育学や社会学的音楽学の研究者でもありますから、たまに学校現場を見に行くこともありますし、教員から話を聞かせていただく機会もある。若い人たちに接する機会もある。
いやあ、良く持ちこたえていると思いますよ。与えられた手札で何とか良い結果を出そうと前向きに取り組んでいる学校。滅私奉公で教育に打ち込んでいる教員。いや、それよりも何よりも、若い人たちがそんなに駄目だとは思えないんです。感じ取れない。
マスコミや本で偉そうに教育を論じておられる先生方と比較すれば、言い方は悪いですけれども入試難易度では月と鼈のような大学ね。そういった大学におられる、あるいは昨日今日、そういった大学を出て来られた方々にお会いする機会が私は多いのですが、おかしいなあ。みなさん、しっかりとした考えを持って真面目に人生に取り組んでおられますし、それこそみのもんたや北野武よりよほど人間的にも気持ちが良い、弱者へのいたわりがごく自然に身に付いている若者が沢山いるんです。
また障害児学校において、自分よりも障害が重い子への気配りが当たり前のように出来ている子供たちを私は沢山見ました。あれは幻ですかね? 『週刊新潮』や『週刊文春』の記者よりあの子たちの方がきっと遙かに優しいですよ。
教科学力についてはよく分からないです(それについては、たまたま来年度、某大学で非常勤講師をやらせていただくことになったので、そこでじっくりと見てみたいと思います)。ですけれども、それ以前の部分で人間がしっかり育っている若者がこれだけ居るとしたら、あの「日本の教育はもう駄目だ」というヒステリックな報道は何なのか。五島勉の『ノストラダムスの大予言』シリーズと同じネタではないのか。もっと地に足を着けた冷静な議論が必要なのではないか。そんな気がしてなりません。
手入れすべき部分はもちろんあるでしょう。それは私も知っている。しかし、私は最近思うのです。かつてナイノア・トンプソンは、赤道無風帯で遭遇した嵐の夜、むきになってもがくことを止めた瞬間に進むべき道を見いだしました。あれと同じではないのかなと。教育はもう駄目だと騒ぐことでメシを食っている人(受験産業とマスコミとヒョーロンカと政治家)が多いだけなんじゃないのか。私たちはもう少しリラックスしておくべきではないのか。けたたましいだけで内容が乏しい居酒屋談義に釣られないためにはね。