全学共通カリキュラム講義「多文化の世界」締めのお言葉

 前期に担当させてもらった講義「多文化の世界」は昨日で終わりでした。

 マイノリティ問題を扱いつつも「正義感は他人にわざわざ見せるもんじゃない。そういうのはみっともないから仕舞っておけ。それよりもカネだ。カネの集め方、カネの回し方を真剣に考えろ。」と言い放つような、アマチュア教員にしか出来ない講義をやらせていただきました。

 ま、別に私の言うことが全てじゃないですけどね。学生たちにも

「良いか? ここで俺が説明しているのは、俺が『こうなんじゃないかな』と考えていることでしかないんだからな。もしも将来、君らが実際にマイノリティ問題に関わるようになったとして、自分には別の考えがあると思ったら、それを貫けば良いんだぞ。」

とは言いましたし、権利回復とか抑圧への償いとかの図式でマイノリティ問題を論じる人だって居て構わないとも言いました。ただ、私個人の姿勢は違うとも。権利を奪われたとか奪われているとかのマイノリティが自分の前に居たとして、自分は彼らの正義の戦いに参戦するなんてことはしないよと。

「私にはアイヌの友人もいますけれども、彼らに対する基本的な私の姿勢は『一緒に面白いことをする』というものです。私自身が楽しめて、彼らも無論楽しめて、結果としてこの社会そのものにも面白さを提供出来るような、そういうことを一緒にやろうよというのが、私の姿勢ね。」

 だって正義の話ってつまんないんだもん。結局「正しさ較べ」になっちゃってさ。そうでしょ。「俺なんかこんなに正義の心持ってるぜ」「私なんかこんなに正義なのよ」なんてね。藤崎さんがちょっと前に書いていたじゃないですか。「正論は聞き飽きた」って。

 そんなわけで、最後に学生たちには次のような話をして終わりました。

・自分独自のアイデアを生みだそうとする姿勢を身につけよう。
・破壊を志向する構えから良きものは生まれない。怒りや妬みや憎しみの感情を抱え込んだ人間に良いものは作れない。他者の幸福の実現を真剣に追求せよ。
・お金は大事だ。どうやって資金を調達するかを考えない計画は話にならない。ある程度、社会が不平等の是正を達成しつつあり、今後もそうしていこうという合意が存在しているような段階では、正義の実現を求めてわめくよりもキャッシュフローの構築を落ち着いて考えた方が良い。正義感は他人に見せるもんじゃない(正義のために戦う自分に酔っている馬鹿もいるし)。
・君たちは立教大学を卒業した後に、会社なり役所なりに入って働くことになると思う。仕事をしていく中で、ほんのちょっとした工夫で世の中の幸福の量を増やせるんじゃないかと思いつく瞬間はきっとやってくる。その時には、この講義のことを思い出して、その工夫を実現させてくれ。
・選ばれた人間だけが世界を変えられるわけではない。誰にでもその可能性はある。企画書を書いて手当たり次第に企画を持ち込むところから全てが始まる。