では小学生に謡を聴かせようとあなたはおっしゃる?

 今週は論文を書いています。それで、次期学習指導要領とか中教審の審議会の議事録をずっと読んでいるのですが(私の専門は音楽教育学なので)、芸術科目関連の部会の委員の中で、日本の伝統音楽をもっと教えるべきだと強力に主張する方が居るのに苦笑いしています。

 日本の伝統音楽といいますが、もともと世界の「音楽」の大半は音出しと舞踊がセットになった芸能ですから(例えばフラやフラメンコ)、そこから音関係だけを取り出して学ばせようという時点で極めて西洋的な試みになってしまいますし、学級システムで学ぶというのも日本の伝統音楽の「伝統的な」学習形態ではないですよ。基本的にマンツーマンで教わるものですから。

 まあその辺はしょうがない、としておきましょう。

 それよりも気になるのは・・・・果たして日本の「伝統音楽」が小中学生にどれほどアピールするものなのかというところですね。実は私の父親は宝生流の教授嘱託(宝生流独自のシステムで、プロの能楽師ではないけれども能の技術をある程度まで教える資格を与えられた人間のことです)でして、物心ついた頃から散々、謡を耳にしていました。レコードでも生でも。宝生流は「謡宝生」と言われるくらいで、謡は能のシテ方五流(観世・宝生・金剛・金春・喜多)の中でも特に魅力があるとされる流派です。

 でも、子供の頃は全然、本当にまったく謡なんか良いと思わなかったですね。

 だから能なんかダメだと言う話ではありません。現に能楽が世界のだいたいどこへ持って行ってもウケる、グローバルな魅力を持つ芸能であることは、能のこれまでの歴史そのものによって証明されています。

 実はですね、能楽の愛好者の絶対的な数で言えば、現代というのは能楽史上でもおそらく最も愛好者が多い時代なんです。だって江戸時代は武家社会と貴族社会が能楽をほぼ独占してたわけで、謡を習う町人は沢山おりましたけれども、実際に街場の素人(能楽の場合は能楽協会会員を玄人、それ以外の一般愛好家を素人と呼びます)がシテやツレやワキを演じて能を上演するなんてあり得なかったですからね。

 案外、日本の伝統芸能はしぶとい。小中学生の年代には多分アピールしないでしょうけれども、大人になってから日本の伝統芸能の魅力に開眼する人は多いのです。とすれば、何が何でも小中学生にその魅力を教えようとしなくても、別に構わないのではないか。複式夢幻能なんて概念、子供には難しすぎます。

 その一方で、伝統芸能を現代風にアレンジした和太鼓合奏(そもそも和太鼓は儀式の中で使われるものであって、和太鼓の独奏や合奏のみを「音楽」として楽しむようになったのは、現代の話です)なんかは小中学生にも大人気です。あれを日本の伝統音楽と言いうるのかと考えると、私はかなり沢山の留保をつけたくなりますが・・・。だって日本音楽史の本を開いても「和太鼓合奏の歴史」なんてどっこにも書かれてないですぜ。その理由はもう書きましたが。

 でも、多分、小中学生の年代で学習するのなら、和太鼓合奏くらいがちょうど良いんじゃないかと思うんですよ。津軽三味線ロックとか。あの辺は日本の伝統芸能を元にしたモダンなポピュラー音楽としてとても良く出来ていますからね。その先、本物の伝統芸能の世界まで足を踏み抜く輩はごく一部でしょうが、それくらいのバランスで良いんじゃないのかな。