手を握るその一瞬に人はどれだけのことを

 いやもう、トリノオリンピックに夢中です。正確にはフィギュアスケート。今回はちょっと浪花節というかド演歌というか、コブシだけで軽くトリプルアクセル回しているチームの競演でしたね。父上の早逝と自身の肺ガンを乗り越え、太平洋を渡ってアメリカ代表の座を掴んだ井上玲奈さん。ベレズナヤ・シハルリドゼ組とサレー・ペルティエ組引退後、圧倒的な身体能力と表現力でペア競技に新しい次元をもたらしたにも関わらず、昨夏の大けがで出場そのものが危ぶまれていた申雪・趙宏博組。大会直前の怪我をおして最後まで演じきったペトロワ・ティホノフ組。度重なる事故と怪我を乗り越え、完璧な演技で金メダルをものにしたトトミアニナ・マリニン組。極めつけは、スロー・クアッド・サルコウを失敗し、立てなくなるほどのダメージを負いながらも、鋼鉄の意志で演技を継続し、銀メダルに輝いた張丹・張昊組。

 なんという過酷な競技なのでしょうか。

何年もかけて、多くのものを犠牲にして磨き上げてきた技術。しかし、チームの片方が故障して演技出来なくなれば、全ては水泡に帰してしまいます。故障を抱えて戦った趙宏博、ペトロワ、トトミアニシナ、張丹も辛かったでしょうし、パートナーにそれだけの苦痛を強いてまでも演技せざるを得なかった申雪、ティホノフ、マリニン、張昊らも辛かったことでしょう。

 特に、演技中にパートナーに大けがをさせてしまった張昊のうろたえようといったら、見ていて気の毒でしたね。何度も何度も心配そうに張丹の顔を覗き込み、演技を再開してからも、いつものような思い切りの良いリフトやスローイングではなく、相手を気遣うような優しいものに切り替えていた彼の気持ち、私には想像もつきません。

 それでも踊りたい、オリンピックの舞台。それでも欲しいメダル。

 因果なものです。

 ですが、私はフィギュアスケートの中でもペアが一番好きですね。もちろん男女のシングルやアイスダンスも過酷ですし、素晴らしい競技です。しかし、極限の場での信頼関係で結ばれたペアのチームには、何かスポーツを越えた倫理さえ感じます。ペア競技では、一つ間違えれば大けがをする過激なリフトやスロージャンプに挑まなければなりません。例えば張丹選手が着氷に失敗して立てなくなったスロー・クアッド・サルコウなど、むしろ投げる方が精神的にきついと思います。失敗して怪我するのは自分じゃないですから。

 私は今でも思い出します。4年前、サレー&ペルティエ組、ベレズナヤ&シハルリドゼ組が歴史に残る名演技を披露した後の最終滑走で、リンクに飛び出していった申雪・趙宏博組の姿。当時、彼らが持てる全ての力を出し切っても、先行する二組を差し切ることは出来なかったでしょう。ですけれども、彼らはその絶望的な勝負に、敢然と挑んでいきました。趙宏博選手が手を差し出し、申雪選手がそこに自分の手を重ねる。二人とも、リンクを睨み付けたままです。ですけれども、趙宏博選手は、自分が手を差し出せば必ず申雪選手がその手を握ってくれると確信していたでしょうし、申雪選手は、手を伸ばせばそこに必ず趙宏博選手の手があることを知っていたでしょう。

 何を当然な話を。

 その通り。ですが、私はあの一瞬に、人と人が信じ合うとはどういうことなのかを見たと思っています。まず自分を相手に賭けること。相手を信じて、自分をくれてやること。それ以外の手順で人と人の間に信頼が生まれることは、たぶん無いんじゃないか。私はあの時、そう思いました。

 そして、二人はリンクに飛び出していって、まだ誰も成功させていなかったスロー・クアッドにやはり挑戦し、着氷はしたものの、惜しくも手をついてしまいました。結果は銅メダル。

 今日行われた表彰式、申雪選手と趙宏博選手は、張丹選手、張昊選手と抱き合って、健闘をたたえ合います。お前ら、後は任せたと。歴史に残る偉大なチームはついに中国にオリンピックの金メダルを持ち帰らなかった。スロー・クアッドも成功させなかった。ですが、その魂は今日、確かに後輩達に受け継がれたはずです。スロー・クアッド・ジャンプ、必ず張丹・張昊組が成功させて歴史にその名を刻むでしょう。ロシア(ソ連)チームのペア13連覇を阻むのも、きっと彼らだと思いますよ。

 航海カヌーとは何の関係もありませんけども。