入学試験

 母校の入試が始まりました。私も試験監督でお手伝い。何やら今年は史上最多の受験生がいらしたとかで、商売繁盛まことに結構なことであります。近年は色々と学部改組・再編を繰り返している我が母校ですが、文学部や社会学部、法学部、経済学部、理学部といったオーソドックスな学部をきちんと残した上で、従来その枠組みの中で研究・教育を行っていた派生的・学際的な部分を別学部にして独立させるというやり方は、一人のOBとしても納得の行くものですから、この路線が続く限りは支持していきたいですね。昨今、珍妙珍奇な学部が次々に発生する一方で、伝統的な学問領域(文学、哲学、歴史学など)がきちんと学べない大学が増え続けていますからね。

 さて、入試ですよ。昨今の入試問題というのはどんなものかいなと思ってパラパラと眺めてみたのですが、想像以上に手堅いというか、知性の幹の部分を見る問題ばかりだったと思います。

 英語は長文2つがメイン。現役の日英・英日翻訳専門家の目で見れば問題にすらならない基本的な文章と設問ですけれども(仕事では遙かに難解だったり長大だったりするものを扱ってますから)、大学教育という視点で考えると、このくらいの英文をすらすら読めて中身を掴める力があれば、スタート地点としてまず問題は無いかなという感じでした。

 数学もシンプルな出題で、珍問奇問の類ではなかったと思います。現代文はエッセイが2本。古典は鎌倉期のもので、まずまず読みやすいものが1本。当たり前の話かもしれませんが、今自分が受験しても余裕で合格出来るなと思いましたね。18歳の時から較べると、英語力も国語力も遙かに上、出島と朝青龍くらいの力の差がある。それだけ18歳の時の自分よりも進化したということでしょう。

 しかしですね。これくらいの知性と知識があれば私の母校程度なら入れるとすると、学習塾ってのは果たして必要なのでしょうか? 多分ニーズがあるからこれだけ塾が流行っているのだと思いますが、しかしあの入試問題を見る限り、大学が見ようとしているのは知性の枝葉ではなく、根の張り方であり、幹の太さであり、全体の健康さである気がしてなりません。そして、そういうものは別に塾で習わなくても身に付けられると思います。

 仮に私の息子が私の母校に入りたいと相談してきたのなら(経済的な観点から言って、出来れば駒場と本郷に敷地がある大学に入って欲しいものですが)、私のアドバイスは簡単です。とにかく大量のノンフィクションと入門書を読め。読んだら内容を簡潔に要約しておけ。高校3年間で500冊くらいまともな本を読んでいれば、現代文の勉強なんか不要ですよ(私も現代文の勉強など全くしませんでした)。

 古典は有名どころを現代語訳と対照させながら20本くらい通読しておけば良いでしょう。英語も一般向けのペーパーバックを5冊も通読しておけば、充分な英語力が付きます。そのうち50頁分くらいは構文解析をしながら全訳するのが良いでしょう。数学は教科書の内容を100%理解出来ていれば、それで充分です。アクロバティックな難問奇問など、それを解く能力を身に付ける為に費やす労力を考えると、明らかに無駄です。

 何だ。高校3年間で本を525冊読んで、あとは教科書の中身をきちんと理解出来ていれば、塾なんか要らないじゃないですか。うん。どう考えても要らない。

 それにね。ここがポイントなんですけど、525冊の読書で付いた力は一生モンですよ。大学に入ってからも大学を出てからも使えるし、そもそもこの力は剥落しない。大学入試が終わったら速やかに忘却される類の受験学力にカネと時間を突っ込むくらいなら、受験時の限界局面での競争力では多少不利かもしれませんけども、知性の幹と根を太く健康に作っておいた方が、長い目で見れば絶対に有利です。

 そんなわけで、改めて息子は地元の公立校で学ばせようと思った私なのでした。

追記:

 今日は妙にアクセスが多いのですが、受験生の方も見に来ているんですかね? 英語の勉強法に興味がある人も居るかもしれないので、補足説明しときますよ。

 まず最初に言っておきますが、大学入試の英語なんて我々プロの翻訳家から見れば、それが東大だろうが京大だろうが関係無く、お遊び以下のレベルの難易度なわけです。なんだかんだいって解りやすいシンプルな文章を一握りでしょ。プロは遙かに込み入った文章を仕上がり原稿で1日8000字ペースでコンスタントに訳してメシ食ってますから。

 で、そのプロはどうやって仕事してるのか。基本です。とにかく基本に忠実にやるんです。どれが主語なのか、どれが動詞なのか。この動詞は自動詞なのか他動詞なのか。受身なのか使役なのか。目的語はどれなのか。そういった構文解析を徹底的にやる。悩んだ時ほど基本に立ち戻る。基本のルールで考えてみる。

 でもね。ここが一番大事なんだけど、日本語力が低い人間は翻訳力も低いです。母語の能力の限界が明確にその人間の翻訳力を規定する。俗にこの業界では言いますね。日本語力が8割、英語力2割だって。受験生が求められるのは翻訳などという高度な職人芸ではなく、ごく単純な訳読に過ぎないわけですが、それでも母語の力は重要ですよ。

 だから私は英語で読むべき本の100倍、良い日本語で書かれた本を読んでおけと言うのです。そうやってまず日本語力を盤石にした上で、構文解析をしながら英語を日本語に訳していってごらんなさい。シンプルで綺麗な日本語にするのですよ。これが英日翻訳の基礎訓練です。入試英語がサッカー高校選手権レベルとすれば、一流のプロの翻訳はヨーロッパ選手権や南米選手権、世界選手権の本大会レベルですが、そのレベルの人間が一番大切にしているのは、実は基本中の基本である母語と構文解析なのです。枝葉末節のトリビアルな単語やらイレギュラーな活用やらはどうでも良いのです。大学で教える側としても、そんな知識の多寡など全く興味はありません。基本。基本。基本。とにかく基礎的な言語力を徹底的に鍛えなさい。以上。