解像力原理主義(笑)

 デジタルカメラが一般化した昨今、カメラ用交換レンズの物理的性能への要求の高度化は留まるところを知りません。というか、パソコンモニター上で「ピクセル等倍」という、印刷物やプリントではまずあり得ないような拡大画像にした時の解像力でレンズを評価するという傾向がやたら強まっている気がするんですね。解像力テストの結果を公開している有名ウェブサイトも幾つかありますし。

 日本語サイトだとここが有名(値段が5倍くらい違うレンズを較べてどうこうとか、バカ丸出し)。
http://ganref.jp/magazines/index/4/0/262/page:1

 例えば私がここ5年ほど、機材重量優先の際のファーストチョイスとして愛用しているSONY DT18-70mmなんかは、解像力原理主義的に言えば「ゴミレンズ」ということになっています。ですが、多分私が生涯で一番沢山使ったレンズはたぶんこれですし、会心作もいっぱい撮っている。何しろ軽いし安いから、持ち出すのに全く抵抗が無いんですよ。それに、解像力はともかくコントラストや発色は結構派手ですから。解像力だけでレンズ性能を語るってのは、パッケージングとか車重とか価格とかトルク特性とか塗装耐久性とか居住性とかインパネの操作性とか全部無視して、エンジンのピーク出力だけで自動車の良し悪しを語るのと同じくらいに馬鹿馬鹿しい気がしています。

 それに、35ミリ以下のフォーマットの達人として知られた古今の超一流フォトグラファー、例えばブレッソン、木村伊兵衛、キャパ、ウィノグランド、荒木、森山・・・・。レンズの解像力に頼った作品作りをしている人なんか私の知る限りいませんね。私のゼミの学生に妙に人気の梅佳代さんはEOS5にEF50mm/F1.4という、機材的には解像度勝負も出来なくもないチョイスですが、出来た作品は解像力とかもう少し大切にしようよと言いたくなるような(以下自粛)。

 たしかに銀塩時代のTOKINAのAT-Xシリーズとか、デジタルに付けるともう何をどうやってもネムい画像しか吐かない呪いの塊のようなレンズもたまにありますけど、それでもブレッソンとかキャパだったら凄い作品撮っちゃうんだろうなあとか考えますね。

 来週は湘南方面で合宿です。若者たちが安物レンズでどんな会心作を撮ってくれるのか、今から楽しみです。