(NPO「いなぎ里山グリーンワーク」の農場でラズベリー摘みに興じる学生たちの図)
昨日は担当しているゼミの学生2人を連れて地元の里山を回って来ました。去年もこれをやって、その時はサングラスを無くした上に風邪までうつされるという、かなり酷い目に遭ったのですが、今日はサングラスを持って行かなかったし、今のところ風邪も引いていないようです。
さて、昨年度も思ったのですが、少なくとも私の母校の学生の質は、20年前とあまり変化していないですね。「ゆとり世代」などと侮られている世代の若者たちですけれども、それなりに人気のある大学なので、勉強が足らない子たちはどちらにせよ入学出来ないってことなんでしょうか。確かに知識という点では、「えっ? そんなことも知らないの?」と驚くことも多々ありますが、多分持っている知識の総量で言えば20年前の学生も40年前の学生も大して変わらないのではないか。あるいはこう言ってもいいでしょう。
「どちらにしろ教員から見れば何も知らないも同然。」
いや本当に。博士課程まで行って勉強した人間から見れば、「ゆとり世代」だろうがバブル世代だろうが、大学入学の時点では知識量の差なんか誤差の範囲内ですよ。大学を出るまでに100のことを学んで欲しいとして、大学に入った時点での知識は2か3か、みたいな。
それよりも大事なのは、少なくとも学部1年や2年の時点では、教師の言うことをいかに素直に聞き、いかに多くの時間を学びに使うかだと思います。そうした姿勢の有無が決定的です。
このような視点から見ると、今年の学生たちもなかなか筋が良いですね。大変だとかきついとか、他のゼミの10倍テキストを読まされるのは何故だとか色々愚痴は言いますけれども、それでもなんとか食らいついて来ています。その大変さが力の源泉になるんだから、それで良いんです。去年教えた学生にも何人か会いましたけど、皆、あの読書量が2年次になって役に立っていると言ってくれてますしね。
昨日は半日かけて里山を回りながら、自然保護という概念の多様さであるとか、近郊の緑地を保全していく上での税制上の問題点、エコツーリズムを導入する上での課題、果ては地域通貨の話まで、色々と解説しました。学生たちも真剣に聞いてくれていたので、多分、何らかの役には立っていくのだろうと思います。この経験も。出来れば彼らには私よりも遠いところにまで到達して欲しいですね。私自身、学部時代の師匠である青木康先生よりも遠くに行けるかどうかは解りませんし、それは非常に困難な挑戦ですけれども、そこを目指して努力を続けることが青木先生への恩返しだと思っていますし、自分が教えた子供たちにはやはり「もっと先」に行って欲しいと考えています。
一つ悩みがあるとすれば、現時点での彼らが素直過ぎるということでしょうか。私の話を感心して聴いてくれるのは良いのですが、「何か疑問点とか無いの?」と尋ねても、「いや、もう全てが納得で・・・」と。もちろんこちらとしても、なるべく学生に解りやすい解説を心がけているのですが、学生たちにはやはり自分独自の疑問を見つけて欲しいというのも本音ですし。難しいところです。
ところで来年度は同じく立教大の、いわゆる一般教養科目も一コマ担当することになりました。テーマは多文化ということで、講義の半分くらいは航海カヌー文化復興運動の話をしようかと思っています。