水瓶座の時代らしいんです

 今日は、ちょくちょくこのウェブログで登場している用語「ニューエイジ」についてのまとめです。「ニューエイジ」って何とか思いながら読んでおられたかたもいらっしゃるでしょうから・・・。

 さて、「ニューエイジ」というのは西洋占星術に由来する概念です。春分の日の太陽の南中位置が黄道の12星座でいうと何座にあたるのかを考えた時、20世紀の終わり頃に、これが魚座から水瓶座に移行するんですね。それで、水瓶座の時代を「新しい時代New Age」と考えるわけです。

 この星座はだいたい2000年くらいで移り変わっていくんですが、前回の移行の時に、丁度イエス・キリストが活動していて、ユダヤ教の中からキリスト教が生まれました。そこで、中世のある思想家が、キリスト教の三位一体思想(父なる神と子のキリストと聖霊は三つに分かれているけれども、一つのものでもあるという考え方)を応用し、キリストが生まれる前の2000年間を父(旧約聖書)の時代、キリストが生まれてから2000年間を子(新約聖書)の時代、さらにその後に聖霊の時代が来ると言い出した。

 ですから、この意見が正しければ、水瓶座の時代というのはスピリチュアルなものがいよいよ世の中の中心に躍り出る時代ということになります。少なくとも1960年代、ヒッピー・ムーヴメントの中でマリファナやLSDをキメていた皆さんは、そんなようなことを漠然と信じておられたそうです。

 とはいっても、何か確固とした思想的中心があるわけではなく、漠然とした雰囲気、そういったものへの志向を指して「ニューエイジ」と呼んでいるだけですから、その中にはディープなものからライトなものまである。要は現代文明の中で、敢えて精神世界を再評価しようという話ですからね。オウム真理教だってそういう流れの中に生まれた集団ですし、江原啓之や細木数子もニューエイジ的といえばニューエイジ的だ。それだけじゃない。映画「ガイア・シンフォニー」の思想的背景であるジェームス・ラブロックのガイア理論も「ニューエイジ」方面でかなり幅広く受け入れられているものでして・・・・ですから「ホクレア」とか「スター・ナヴィゲーション」なんてキーワードも、広い意味で捉えれば「ニューエイジ」アイテムなんですよ。

 こんな風に書くと、「ホクレア」を何にでも安易に結びつけようとしていると批判されたりしそうですが、「ニューエイジ」というのはあくまでも認識の枠組みの一つですからね。「ホクレア」が「航海カヌー」「帆船」「カタマラン」という、相互に異なった認識の枠組みで捉えられるのと同じ話なんで、そこはカンベンしていただきたい。「ニューエイジ」というのは、精神的なもの、スピリチュアルなものの再評価運動全般を指しますから、伝統航海術の復活と振興を通じてスピリチュアルな世界にも接近していったハワイの人々は、「ニューエイジ」的というしか無いんですよ。実際、ナイノアさんのお父上で長年ポリネシア航海協会の会長を務められた故マイロンさんの活動に対し、口さがない筋からは、ハワイの伝統をメインランド風ニューエイジに接ぎ木しただけだという悪口も寄せられていたと言います。

 さて。それじゃあ、「ニューエイジ」というのは、実際しょうもないもんなのか。たしかにオウム真理教とか江原某とか細木某なんて名前を出されると引いてしまう方もいるかもしれません。しかし、そういった銅臭の漂うものも「ニューエイジ」ですけれども、それはあくまで広大な「ニューエイジ」の中のごく一部に過ぎないんです。それに、「ニューエイジ」とビジネスの結びつき方にも色々な形がある。例えば「BODY SHOP」なんかもそうです。

「BODY SHOP」は、藤崎達也さんも指摘していますが

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ビジネスと環境保護を二つながら目指すという企業の一つの典型です。こちらの企業理念

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に掲げられた

「しかし、ザ・ボディショップは、ただ商品をお客さまに提供しているだけの企業ではありません。 ザ・ボディショップには、果たさなければならない使命があるのです。それは、社会と地球環境の変革を追及し、ビジネスを通じて世界に貢献し続けていくということ。」

という文言を見ればわかるように、「ニューエイジ」を売るのではなく、ビジネスと「ニューエイジ」を融合させていくという方向性を持っています。

 私は、これからの企業は「BODY SHOP」のこのような方向性に大いに学ぶところがあるのではないかと思っています。折しも、中国の都市の地下水の90%が汚染されているなんてニュースが飛び込んできましたが、今は環境保護なんてことを考えずに好き放題やれているBRICSのような振興工業国家群も、遅かれ早かれケツに火が付き出すでしょう。いつケツに火が回るかの違いだけで、環境保護とビジネスの両立を避けられる場所は、もはや地球上にはあり得ないはずです。その時必要になってくるのは、ビジネス・マインドとエコロジカル・マインドのいずれをも備えた経営者たちです。「BODY SHOP」、あるいはパタゴニアのような企業は、実はこれからの時代のウェイファインダーなんですね。

 言い換えれば、人類社会は遅かれ早かれ「ニューエイジ」的な価値観を避けては立ちゆかなくなるということです。逃げてる場合じゃないと。そういった時期にあって、昨日一昨日と紹介したような学者さんたちに私が感じている不満は、君たち「ニューエイジ」から逃げてないかってこと。「平成ネオ・ナショナリズム」やら「ネオリベ」とレッテル貼りしているだけでこの先大丈夫かと。

 職業として学者をやっている人たちは、どうしても自分の知性一本で食っていくぞという気概を持っていますから、理屈では片付けられない世界、スピリチュアリティとか精神性なんていうと、それだけで眉に唾をつけてしまう。きっと理屈と計算だけで(進化ゲーム理論のように)環境保護という命題をも解決してやらあという自信があるんだとは思います。

 ですが、一昨日も書きましたけど、そういう計算には時間がかかるんだ。だから、東浩紀さんみたいな恐ろしくアタマの良い哲学者でも、まだどうしたら良いか答えを出せずに逡巡している。その点私なんか、計算を途中で放り出して、自分は「ニューエイジ」的価値観に賭ける、これで行くって腹くくってしまいましたからね。計算に費やす時間が省けるってもんです。

 それで、きっと「BODY SHOP」もその他ニューエイジ的企業も、徹底的に理屈で計算してニューエイジでいこうって答えを出したんじゃないと思うんですよ。計算に費やす時間を省いて、そんなことしてる間に動け、体を使えという判断をしていると想像します。私はそっちの方が価値があると思う。理屈なんか動きながら考えていけば良いんじゃないか。時間が惜しい。