『日本宗教史』

 ナイノアさん自身ももう忘れているかもしれませんが、何年か前にホクレアが日本に行きたいと言った時、ナイノアさんは日本人のスピリチュアリティというものをキーワードにしていました。そのコンセプトは今回の航海では殆ど見えませんけれども、私としてはいまだに勉強を続けております。

 今日は本の紹介。

末木文美士 『日本宗教史』(岩波書店、2006年)

 新書です。かなり薄い本です。内容的にも、学部学生相手に大教室でやる講義のノートみたいなもので(きっと教科書に使ってますよこれ)、かなり駆け足ですね。これ一冊である程度まとまった知識が得られる類の本ではないです。ただ、参考文献一覧は結構充実しているので、それを読んで学びなさいというものですね。やはり教科書的。末木さんの本だと『日本仏教史』などは一冊でも相当に読み応えがあったものですが。

 さて、ですけれどもこの本も結構面白い指摘を一つだけしております。「日本人のスピリチュアリティの『古層』は歴史的に形成された」ということ。って判りづらい言い方ですねこれ。要するにですよ。日本列島に大きな影響を与えた大宗教を歴史的に見ていくと、古い順に「仏教」「神道」「キリスト教」「儒教」となります。

 あれ? 「神道」と「仏教」の順序が逆じゃないかって? 違うんです。というのは、最近の文献史学の研究から判ってきたことなのですが、神道というのはもともと仏教の理論や説話を数多く採り入れながら、つまり仏教の影響下に形作られた宗教だったのですよ。神道的なものの最古の文献はもちろん『古事記』ですが、あれでさえも中国辺りの仏教説話の影響を受けて書かれている。

 ですから、そういったものを出発点にして形作られた神社というものに、「仏教導入以前の原・日本」がそのまま残っていると見るのは間違いだよというのが、この本で一番面白かったところです。

 では、「仏教導入以前のオリジナル・ニッポン」は何処にあるのか? 何処にも無いんです。仏教導入の以前と以後に分けて、以前を「オリジナル・ニッポン」と見ようとする発想そのものが変だと。たしかに仏教導入の時期以降、日本列島には書き言葉が生まれましたので、そういう意味では日本列島史上有数の画期であることは確かですけれども、それ以前にも以後にも日本列島は周囲の土地との間で様々な影響を与え合って変化し続けているわけですよ。喩えて言えば、そうですねえ。人の一生を考えたとき、「言葉を憶える前の私」を「本物の私」「オリジナルな私」と見るようなものです。

 それって変でしょ。「言葉を憶える」こと以外にも、人生には極めて重要な転機が沢山存在するんだから。それに、周囲からの影響を全く受けない「わたし」なんてものはあり得ないし、それこそが真の「わたし」という考え方もかなり偏ってます。

 ですから、ナイノアさんの探していた「日本人のスピリチュアリティ」に、少なくとも根源のようなものは「無い」。そういうものを探すよりも、古代から現在に至る日本列島の歴史そのものを、この列島に住んだ人々のスピリチュアリティの本体と見るべきだと思うのが私なのです。