下北沢再開発問題への違和感の理由がわかったです

 東京都世田谷区に「下北沢」と呼ばれる地域があります。

 東京の都心部には山手線と呼ばれる環状線があるのですが、その西側には北から順に池袋、新宿、渋谷というターミナル駅があり、これら三つの駅からは都心部の西に広がる郊外住宅地に向かう、数多くの路線が走っています。

 下北沢はそのうち、新宿から出る小田急線と、渋谷から出る京王井の頭線が交わる駅の名前であり、またその周辺の地域の通称でもあります。この地域は高度経済成長期の終わり頃から若者向けの零細商店が集まるようになり、現在では若年層向けの消費文化の一つの中心地ともなっています。特に有名なのが小劇場で、私も含む演劇部上がりには、下北沢といえば「劇場の街」ということになっています。

 その下北沢地域では、前出の小田急線の地中化に伴う大規模な再開発が予定されています。その計画の中で特に問題となっているのが「補助54号線」と呼ばれる大きめの都市計画道路の存在です。

 この道路は、現在下北沢地域の若者向け消費文化の核心地域である下北沢駅北側のごちゃごちゃとした零細商店密集地域を分断する形になっているのです。

http://www.city.setagaya.tokyo.jp/topics/kitazawa/machidukurika/simokitazawa/hojo54gou/54gou_top.html

 この計画が明らかになると、吉見俊哉など若者文化を研究している大学教員やポップ音楽の演奏を職業とする人々、演劇関係者、マスメディアなどが一大反対キャンペーンを開始し、現在は訴訟という形で事業を認可した東京都と争っているのです。ただ、私の知人でこの地域で育った方(東大卒の美人研究者!)などは、そうした外部主導の反対運動と地元の生活者の感覚との間には微妙なズレがあると指摘しておられました。

 さて、私自身はと言いますと、正直なところ下北沢という土地はあまり好きではありませんので、大きな道路が通っても良いし通らなくても良い。地元の方々がお決めになることだと考えています。ただ、文化人やマスメディア主導の反対運動には強い違和感を感じ続けています。

 それは、彼らが下北沢という土地にとっては「余所者」であって、口を出す筋合いは無いという意味ではありません。彼らがこの先も下北沢という土地を繰り返し訪問して消費行動を行うつもりなのであれば、彼らにもある程度口を出す資格はあるでしょう。

 それよりもね。私が知りたいのは、彼らが電車の切符を買って下北沢へと向かう地元の駅前はどうなってるのかってことなんだ。

 私はこれまでに5回の引っ越しを経験しました。そのうち4回は「郊外」と呼ばれる地域への移住でした。

 「郊外」というのは、巨大都市の周辺に広がる住宅地のことです。住宅地と呼ばれる以上、そこにあるのは住宅であってそれ以外のものは付属品です。これがどういう意味か解りますか? 住宅地というのは歪な空間だということですよ。そもそも人間が集まって住んでいる土地というのは、ただ住むだけでなく仕事の場でもあったわけです。ところが近代、現代という時代は住む土地と仕事をする土地を切り分けてしまった。前者が住宅地、後者がオフィス街や工場街というわけですな。

 「郊外」というのはあくまでも都心で働く人々にねぐらを提供する為の場所ですから、例えば働き場所が変わればねぐらも変わったりするわけです。仕事場が池袋なら東武や西武線、新宿なら中央線や京王、小田急と。郊外のねぐらは、「仕事場までの所要時間」「駅からの距離」「物件の広さ」「家賃」といった数字で比較検討され、売り買いされ、あるいは貸し借りされるだけの場となった。私自身、最初に住んだ街は大学までの所要時間やら駅からの距離やら家賃やらだけで選んだですよ。

 ですが、住んでみるとどの「郊外」にもその土地独自の歴史があり風土があり文化がある。「開発」という行為によって相当薄まっているにせよね。ところが、数字だけで売り買いされる土地の悲しさ、まあどこの「郊外」も景気良く「再開発」されちゃうんですね。この不景気の15年あまりでも。だから、先日13年振りに訪ねた街は、本当に面影どころか、道の在処まで全く変わっていた。自分がどこに居るのか本当に解らなかった。

 私はそういう「郊外」の再開発を結構見てきました。そのどれもが風景という形で存在しているコミュニティの記憶を根こそぎにするものでした。悲しかったですよ。

 それと同じことが、今、下北沢という土地で起ころうとしている。それを見る私の気分は複雑です。また一つ風景の記憶が消滅するのだなという寂しさと、そしてそれに反対している人々への空しさ。あなたたちは、自分の故郷が再開発された時にもそれだけ真剣になったのか? あなたたちが現在住んでいるであろう「郊外」もまた、誰かの記憶の風景を根こそぎにすることで生まれた土地なのではないか? 

 もしも彼らが、自分自身のねぐらは数字だけで選んだ「郊外」に置き、その土地のコミュニティとは無縁に生活していながら、下北沢という土地の再開発問題にくちばしを突っ込んでいるのだとしたら(そうではないことを信じたいですが)、それは筋違いではないかと私は思います。まず大切にするべきは自分のねぐらがある場所なのではないか。一番真剣にならなければいけないのは、自分のねぐらがある土地についてではないのか。