hold your fire

 このところ、ホクレアがこの日本航海で発しているメッセージをどう受け取って良いものか、考え続けています。日布友好・移民顕彰・えひめ丸鎮魂。それらは明示されたメッセージですし、当然ながらきちんと受け取っておくべきものでしょう。問題はその先です。

 おそらくこの航海でホクレアを知って心に熱いものを感じた方は多いはずです。その熱いものを、これからどうしていけば良いのか。私が考えているのはそこです。私個人はもう既に書いた通り、公教育の分野に向かいます。それが私という個別事例での熱いものの生かし方です。では皆さんは?

 これまでもホクレアを知って熱いものを感じて何かに打ち込んだ方は沢山おられましたね。目立つところを思いつくままに挙げてみましょうか。ハワイに渡ってホクレアのクルーを目指した内野さん。沖縄で航海カヌーを造った荒木さん。雑誌メディアでのホクレア紹介に取り組んだ西岡さん。映画を作った龍村さん。ライターとして数多くの記事を執筆した内田さん。(順不同)

 考えてみると、同じホクレアという船に接しても、そこで得た熱の表現形態はずいぶんと違う。今挙げた方々はダイレクトにホクレアに関わりつつ様々な形で活動しておられるわけですが、私のようにホクレアから離れた場所で何かしていこうという方も、これからは増えていくと思います。というより、そうでなければいけないのではないかと思います。ホクレアという船はオアフ島のホノルルにある御神輿です。それなりにでっかい御神輿ですが、御神輿である以上は担げる人間の数に限界がある。だからハワイ諸島内においてさえ、マカリイにホクアラカイ、ナ・マホエ、イオセパなど別の御神輿が次々に出来た。

 まして今回、ホクレアが火付けをして廻っているのは日本列島です。そうそう気軽にホクレア御輿を担ぎに行くわけにもいきません。あれはやはり別の町内会の御神輿ですから。

 それじゃどうするのか。日本でも御神輿を造ろうという意見があります。日本でも航海カヌーを造る。実際に糸満には荒木さんのグループが建造された航海カヌーがある。そして素晴らしい活動を展開している。同じようにして別の土地でも航海カヌーを造る。それはそれで一つの方向性だと私は思います。ですが、多少の疑問も感じる。いつの間にか主客転倒していないかと思うのです。

 ホクレアはもともと御神輿にする予定もなく出来た学術研究用の船でした。それが学術研究用としての使命を終えて御神輿に転用された。まさに言葉通り、ハワイという社会に担がれた。何故そうなったかといえば、ホクレアという船を御輿にして担ぐことがハワイ社会には必要だったからです。ホクレアを御輿にすることでハワイ社会は良くなった。ホクレアは御輿になることでハワイ社会に貢献した。だから30年も担がれて来た。そう見ます私は。ホクレアという御神輿の事例で先に存在したのは社会のニーズの方だったのです。それを御輿にしたら存外良い感じだったので、隣の町内会が似たような御輿を造り、また別の町内会が・・・・。

 先に存在したのは常に社会のニーズでした。社会が新しい航海カヌーという御輿を必要としていたから、次々に御輿が造られた。

 では日本列島ではどうなのでしょうか? 自分たちも航海カヌーという御輿が欲しい、担ぎたいという人たちが沢山集まって一つの社会を形成したならば、それは造られるのが自然です。しかし順番は常にこれでなければいけません。航海カヌーという御輿を造ったからそれを担ぐ町内会を造ろう、とか、航海カヌーを造りたいからそれを御輿にする町内会を造ろう、という順序ではないのです。

 ところで気になりませんか? そもそも御輿は常に航海カヌーでなければならないのでしょうか? いや、それ以前に御神輿は常に必要なのでしょうか?

 私は違うと思います。

 たまたまハワイ諸島の町内会では航海カヌーというものを御神輿にするのが最適だった。だから御神輿になった。お隣のミクロネシア連邦を考えてみればわかります。ミクロネシア連邦には航海カヌーなんかいくらでも現役で浮かんでいるけれども、それらは御神輿としては使われていない。御神輿じゃなくて軽トラです。野良仕事に行って芋掘ってくるのに乗る軽トラ。魚やウミガメを手に入れる為の道具。御神輿にしようとして造られた航海カヌーもあったのですが、それらはだいたい一回だけお祭りに使ってあとはうっちゃられた。

 だから航海カヌーが常に御輿に最適とは到底言えない。たしかに日本の「海人丸」は御神輿としての成功例でしょう。でもその前にかつて日本には「野性号」というのが3艘もあって、それらは一回使って終わりになった。「海王」はどうでしょうか? ハワイから御神輿が来た時には蔵から出てきましたけど、本当は毎年例大祭をやってきちんと担いだ方が良いと思うなあ。ことほど左様に、航海カヌーの現物があったって、それを担いで御神輿にしてきちんと例大祭をする町内会が無いと話は進まないのです。

 私は別のものを御神輿にしたって良いと思う。私たちが考えるべきは、私たちの今居る社会が御神輿を必要としているのであれば一体何を御神輿にするべきか、何を御神輿にするのが最適なのかという問題です。社会のために御神輿があるのであって、御神輿の為に社会があるのではないですから。何が何でも双胴の帆走カヌーが御輿でないと駄目なはずがない。

 そして個人のレベルに話を移すと、あなたは担ぐ御神輿がなければ何も出来ないのかということを、私たちは自分自身に問うてみるべきなのではないかとも考えます。ホクレアというでっかい御神輿をかついでハワイからやってきた連中はたしかに格好いいです。奴らが素晴らしい実践をしているのは認める。そこで私たちはどうするか。一緒にホクレア御輿を担ぐのもアリ。別に自分たちで何かを御輿にするのもアリ。でも、それだけが道じゃないでしょう。一人で何かを始めてみるのも悪くない。

 2004年の10月にこのウェブログを書き始めた時から、私はホクレアという御輿を担ぐのではなく、ホクレアという御輿を担いでいる連中が日本に向かう道の草取りをするのだと考えていました。連中が歩きやすいようにね。私は本当にたった一人で始めて、一人でここまでやってきました。当時はウェブ上にホクレアの情報は全く何も無かったですから、それだけは整備しておこう、それなら一人でも出来るだろうということだったんです。それがどれだけ役に立ったかは良く解りませんが、まあ無いよりはあった方がマシだったのではないかというところですね。ホクレアという御神輿そのものを私は担ぎませんでしたし、また担ぐつもりも無いのですが、それでもなにがしかは出来た。

 御神輿など無くても、町内会に入らなくても、それでも出来ることはあると思います。世の中を少しマシなものにする為に。もしもあなたがホクレアに熱いものを感じたのであれば、その熱を失わないように持っていてください。そしてその時が来たら、その熱を誰かの為に使ってください。その先は?

 それはあなたが考えて。