もう少し静かに、言葉が届いてくるのを待とう。

 震災発生から2週間が経とうとしています。最初の1週間は日本中がショック状態でした。次の1週間はというと、それぞれがこの歴史的大事件を自分の世界認識のなかのどこかに、どうにかして位置づけようとした時期だったように思います。

 その結果として、だと思いますが、色々なところで色々な演説や議論が始まりました。やはり民主党はダメだという結論に全てを収斂させていこうとする演説やツイートもあれば、日本中の原子力発電所を今すぐ全て停止させ、廃炉にしろという演説や叫びも沢山出てきた。被災地の為に出来ることを考え、議論し、呼びかける声も大きいですね。東京電力の計画停電についてのああだこうだとか、被災地の外で発生した買いだめ騒動、給油パニックをなじる声、福島県や茨城県産の生鮮食品から検出された放射線についての声、昨日は浄水場から検出された放射線のニュースが流れて店頭のミネラルウォーターが瞬時に売り切れました。私自身、今すぐ原発を全部止めろというヒステリックな声を批判してもみました。

 その時です。

 古い友人から短いメールが届きました。彼女は、やはり私の古い友人と結婚して東京に住んでいるのですが、夫の実家が津波で被災し壊滅して義父が遺体で発見されたとの簡単な連絡です。

 その実家は三陸の海沿いにあり、私も妻と結婚する前に一緒に遊びに行ったことがありました。その時に友人のお母様に「うちの子に似合う女性がいたら紹介してやってくれ」と声をかけられ、その1年半後、私の結婚披露宴をきっかけとして、彼は私の女友達とつきあい始めたのでした。一宿一飯の恩は返せたと私も嬉しく思っていたのですが・・・・・。

 今日、そのメールを読んで、私には返す言葉がありませんでした。「ご冥福をお祈りいたします」というような型どおりの言葉を返すのも憚られるような悲しみの空気を、私はメールの文面から感じたのです。私ははっとしました。この巨大な災害から半月が経ち、被災地以外の国民の関心の大半は福島第一原発の事故そして今後のエネルギー問題、政局、統一地方選、復興財源、マスメディアの凋落とSNSの台頭といったところに向けられ始めています。

 しかし、放射線被曝での死者や重傷者はまだ一人も出ていない一方、津波と地震で何万人もの同胞や在留者が命を落とし、何十万人もが家財の一切合切を失っているのです。その衝撃、その悲しみの膨大さはなお想像を絶しますが、私たち日本人がまず視線を向けなければいけないのは、津波と地震で人生を破壊された何十万もの同胞たちであるべきです。いますべきことは、被災していない我々が、己が意見を声高に語りあい、責任者をなじることではなく、被災した同胞たちが何かを語りたくなった時にその声が聞こえてくるような静粛を、日本語で語られる言葉の世界の中の、落ち着いた雰囲気の残る場所に、いましばらくは保つことなのではないか。

 これは、楽しい催しや遊興娯楽歌舞音曲を自粛しろというような話ではありません。そういうものを自粛する必要は無いでしょう。私が言いたいのは、被災者が語る言葉のための場所を、敬意と厳粛さを保って空けておきましょうということです。それが被災地の外に届いてくるまでには、まだまだ時間がかかるはずです。ですけれども、私たちはきちんと待ち続けていなければならない。どれだけ時間がかかろうとも、それらの言葉が届けられるまでは、この大災害を総括してはならない。

 そんな風に感じました。異論は認める。