あと5メートルの楽園

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As the Moors imagined that the celestial paradise hung over this favored spot, so I am inclined at times to fancy, that a gleam of the golden age still lingers about this ragged community.
モーロ人たちが、この神の恩寵のような土地の上空には天の楽園が降りて来ているのではないかと想像していたように、私もまた時折、かのスペインの黄金時代の残光が今も尚、この貧しい人々の周囲を包んでいるのではないかと想像したくなるのである。
-"The Alhambra", Washington Irving-

 これは19世紀のアメリカ人作家、ワシントン・アーヴィンが19世紀初頭、つまり今から200年ほど前にスペインのグラナダに滞在した際、かつてのイスラム系王朝の王宮跡である(現在は世界遺産)アルハンブラ宮殿に住み着いていた貧民たちから聞いた数々の昔話を集めたエッセイ『アルハンブラ物語』の4章の最後に出てくる一節です。

 私がアルハンブラ宮殿を訪ねたのはちょうど10年前、1999年の8月でしたが、あの酷暑はいまだに鮮烈な記憶として憶えています。グラナダはスペイン南部、アンダルシアの主要都市の一つで、ベガと呼ばれる(イベリア半島の中では比較的)肥沃な土地に築かれた古都、ということになります。

 この町がイベリア半島の中でも特に恵まれていたのは、真後ろにシエラネバダ山脈という大きな山塊が存在していたことでしょう。あの水の乏しいアンダルシアにあってアルハンブラ宮殿はまさに「湯水のように」水を流しています。その水はシエラネバダ山脈から流れてくる雪解け水です。アーヴィンが書いているように、中世のイベリア半島を支配したイスラム教徒たちは、この町の空の上に天国があると考えていたならば、その天国に流れている水も確実にシエラネバダ山脈のものだったはずです。

 それにしても、我が町の上には天の楽園が降りてきている、とは、何と素敵な表現なのでしょうか。本当に中世イベリア半島のイスラム教徒たちがそのような詩を書いたのかどうかは知りませんが、アーヴィンのこの本が出版後180年を経てなお読み継がれているのは、このような極上の言葉が幾つも散りばめられているからに他なりません。「the celestial paradise hung over this favored spot」。ある土地を褒めるに際して、これ以上に美しい言葉を私は古今東西知りません。

 私もまた、息子と街を歩きながら確信しています。この街は天の楽園が大地に最も接近している場所の一つに違いないと。もちろん、この街もまた楽園そのものではありません。私の目算では、楽園と地面との距離は5メートルほど離れています。ただし、その距離は、私たちこの街の住民の努力によって縮めていくことが出来るものです。

 アルハンブラ宮殿から見下ろした夕刻のグラナダの街。その中空には確かに楽園が天からせり出していたように思います。でも、すぐそこまで楽園が近づいている街はグラナダだけではありません。昨日、学生たちと多摩ニュータウンを歩いてみて、あらためて確信しました。多摩ニュータウンの空には楽園が顕れています。そして、あと数メートルに迫った楽園までのその距離を埋めるべく頑張っている人々が、この広大なニュータウンのそこここに居ることも。