‘Cead mile failte’と’As the coffin lid closing.’

小説を書いていて自分が昔読んだり見たりしたものがふっと出てくることは多いんです。

例えばの話。

暗闇の中で待機していた船に、敵陣に潜入した工作員が戻ってくるシーン。そういうのを半月くらい前に書いた。

その時に自分がイメージしていた情景ってのは、もちろん自分の作品世界なんだけれど、昔読んで好きだった小説のラストシーンでもあるんです。

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When he went over the rail himself a couple of moments later and collapsed, it was Koenig who knelt beside him with a blanket,

‘Mr. Devlin, drink some of this.’, he passed him a bottle.

‘Cead mile failte’, Devlin said.

Koenig leaned close. ‘I’m sorry, I don’t understand.’

‘And how would you? It’s Irish, the language of kings. I simply said, a hundred thousand welcomes.’

Koenig smiled through the darkness.

‘I am glad to see you, Mr Devlin. A miracle.’
‘The only one you’re likely to get this night.’
‘You are certain?’
‘As the coffin lid closing.’

Koenig stood up. ‘Then we will go now. Please excuse me.’

(Jack Higgins, “The Eagle has landed”, 1975)

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邦題は『鷲は舞い降りた』

第二次大戦中にドイツ軍の空挺部隊がイギリスのノーフォークに潜入してチャーチルを拉致しようとした、という設定のフィクションなんですが、これはその最後のシーン。作戦は失敗してドイツ兵が一人だけ、沖合で待っていたEボートに命からがら戻ってくる。ドイツ軍に協力していたIRAの活動家、リアム・デヴリンも一緒に逃げてきて、この会話が交わされる。

ハヤカワ文庫で菊池光訳で出ているのですが、菊池はこうやって訳してるんですね。

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彼自身、手すりを乗り越えると、そのまま倒れ込んでしまった。ケーニヒが毛布をもって、彼の横に膝をついた。
「ミスタ・デヴリン、これを飲んでください」
彼が瓶を渡した。
デヴリンが何かいった。
ケーニヒが顔を寄せた。「失礼、わかりません」
「わかるはずがないよ。アイルランド語だ。王者の言葉だ。おれは、ただ、歓迎十万、といっただけだ」
ケーニヒが闇の中でほほえんだ。
「またお会いできて、こんな嬉しいことはありません、ミスター・デヴリン。奇跡です」
「今夜は、奇跡はこれでおしまいだ」
「まちがいありませんか?」
「棺のふたがしまるのと同じくらいに」

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‘Cead mile failte’の部分を菊池は上手く逃げて訳してるんです。そりゃ1981年にゲール語の発音なんて調べようが(ほとんど)無いですからね。アイルランド大使館に問い合わせればわかったとは思いますが。

今は文字列を検索するとユーチューブさんがこうやって教えてくれます。

 

ケード ミリャ フォールチャ

その後の’And how would you? It’s Irish, the language of kings. I simply said, a hundred thousand welcomes.’ も色々な訳文が考えられますね。特にAnd how would you? は難しい。わからなかったとして、それであなたはどうするの、みたいな意味でしょうか。

私だったらこうするかな

「気にしなくて良い。アイルランド語だ。王たちの言葉だ。俺はこう言っただけさ。大歓迎」

当時はこの「歓迎十万」’Cead mile failte’はデヴリンが沖で待っていたケーニヒのホスピタリティを賞賛して呟いた言葉だと思っていたんですが、原文をよく読むと違いますね。

デヴリンはケーニヒに渡された酒に対して、こいつはありがたいと言ってるんですね。

もう一つ。’As the coffin lid closing’ というフレーズも強く印象に残っていて、これはよくあるフレーズなんだろうかと調べてみたんですが、こちらはジャック・ヒギンズだけが使う決め台詞でした。

それは確かなのかと聞かれたときに、ヒギンズの小説の登場人物がたまに使うんです。

「棺桶の蓋が閉じていくのと同じくらいに(間違いの無いことだ)」

棺桶の蓋は閉じられる前に、中身は徹底的に見られ、確かめられますからね。本当に死んでいるのか、誰が死んだのか。それだけ確かなことだよ、というフレーズかと思います。

かっこええね。

追記:菊池光の訳文は、ところどころでなんかリズムが悪いのが残念なところ。

‘The only one you’re likely to get this night.’
を「今夜は、奇跡はこれでおしまいだ」は、確かに文章としては原文通りなんだけど、原文のぶっきらぼうなリズム感が無くなってて、最初に読んだときから気になってます。私ならこうします。

「今夜の奇跡はこれで終わりさ」