『青白く輝く月を見たか? Did the Moon Shed a Pale Light?』にパニックものではないAI小説の可能性を感じた

久しぶりに森博嗣センパイの著作をまとめ読み。
Wシリーズの5冊目『私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback?』と6冊目『青白く輝く月を見たか? Did the Moon Shed a Pale Light?』を読了。
これは現代(S&Mシリーズ:犀川創平と西之園萌絵が主人公の推理小説)から150年ほど後の未来が舞台で、もちろん同じ世界線ですから電脳世界の創造神としての真賀田四季は相変わらず暗躍しています。
現代もの(S&M、V、G)は推理小説でしたがこれは推理要素は無くて、人工知能をテーマとしたSFです。
ホモ・サピエンスをベースにした人工生命体「ウォーカロン」が社会の各所で市民生活を送っている、「アップルシード」みたいな世界で、ウォーカロンとホモ・サピエンスの非侵襲的手法による識別(脳波の比較解析)を研究する人物が主人公となり、真賀田四季が遠い過去に仕込んだSF的謎を解明してゆくというのがシリーズの骨格。
人工生命体の識別というとブレードランナーですが、レプリカントと違ってウォーカロンは平和的な種族です。またこの世界には「攻殻機動隊」における「人形遣い」に相当するようなネット上の知的生命体「トランスファ」が何体か出現していて、物語中盤からはそのなかの一体「デボラ」が主人公のバディとして活躍しています。
個々の要素は上で見たように過去のSF作品に類似のものがあるんですが、昨今のAI研究の動向が影響しているのか、この世界でネット上の知的生命体がどのようにして出現してきたのかの描写はリアルです。小説という表現形態もその辺は向いていたかな。マンガやアニメ映画という表現手法の「攻殻機動隊」にはその辺りで限界がありましたからね。
特に良いなと思ったのは6冊目『青白く輝く月を見たか? Did the Moon Shed a Pale Light?』で、北極海の深海に沈んだ巨大攻撃潜水艦に搭載されたAIが、あまりにもヒマ過ぎたが故に意識を獲得し、あまりにもヒマ過ぎた故にAI研究者になってしまい、あまりにもヒマ過ぎた故に詩人にもなってしまった、というプロットです。
ハイスペック過ぎる電子戦用AIがいつの間にか意識を獲得していたというのは「戦闘妖精雪風」のプロットでしたが、雪風が戦闘という目的に特化して人間を切り捨てていったのに対し、この作品に登場するAI「オーロラ」は電子戦兵器としてあまりにも強力になりすぎたのでもはや戦闘には何の興味も無く、哲学者にジョブチェンジしてしまう。
面白い。
かつてはAIというと不気味で怖くていつか人間を滅ぼしに来るというターミネーターや新井紀子的(新井素子のタイポではないぞ)なAI観だったのが、森博嗣センパイは全然違う方向を見ていて、あまりにも強力なAIは哲学者になり、そのうち誰かの出自がホモ・サピエンスかAIか人工有機生命体かということを誰も気にしなくなる時代が来るんじゃないか、という思想を展開している。
AIパニックものはいい加減飽きてきたんで、このシリーズ、気に入りました。