書評:カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』 / 正統派ファンタジー小説がいかにしてノーベル文学賞を射止めたか。

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』読了。

竜も剣も円卓の騎士も魔法もきちんとした役割と必然性を与えられて投入されている正統派アーサリアン・ファンタジーだけど、戦争や民族対立と諸々の残虐行為の記憶とどう向き合うべきかという難しい問いを見事に物語の芯にしている。さすがノーベル文学賞。

日本だとこういう小説はどんな道具立てで書かれるものだろうか? 時代小説? 戦国時代ものとか明治維新もの? どちらもあまり読まないのですが。司馬遼太郎や垣根涼介はもうちょっとかなり単純なエンタメだったと思うし、宇月原晴明はB級オカルト戦国史でアクセル踏み抜いてますよね(褒めてますよ)。

イシグロがアーサリアン・ファンタジーというツールセットを選んだのは西欧の文学史の中でのロマンスを流用して現代的テーマを語るという目論見があっただろうけど。

ちなみに『忘れられた巨人』の感想を検索で寄せただけでも、普段はファンタジーは読んでいないであろう層が絶賛の感想を大量に書いているのがわかります。

これ、大事。

ノーベル文学賞というトップブランドと、イシグロの類まれな創作能力あってのものですが、マーケティングとブランディングとアイデア次第では、ど真ん中の中世ファンタジーでも圧倒的に売れる実例でしょう。よく考えたらカズオ・イシグロってSFとファンタジーの人で、そんな人がノーベル文学賞なわけですよ。だから「大人向け」というブランディング、マーケティングそしてコンテンツ開発、意外に可能性あるなとは思ったんですが、同時に感じたのは、イシグロにせよアンナ・スメイルにせよ、表現の手段と目的の整理がしっかりしているということ。

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日本のゼロ年代作品みたいに設定ばかりに凝りすぎていない。『忘れられた巨人』の竜のブレスもアンナ・スメイルの『鐘は歌う』のカリヨンも特殊効果は極めてシンプルで、ゼロ年代SFみたいに凝りに凝った工学的な設定(ゆえに読者も全てを理解出来ず、ウェブ上の考察で盛り上がらせるのが商品コンセプト。ゴジラSPとか)は使っていない。

両作品の焦点はそこではなく、人間や社会の本質そのもの。

そこを狙って商品を投げ込めば一定確率で売れるという馴染みのゼロ年代もの市場に向けた作品作りは手堅くはあるけれど、マニアにしか読まれない。

イシグロ作品は設定に凝るより「人」「社会」をシンプルな道具立てて深く深く描いているから、マニア市場の外で売れるのではないか? ひかわ玲子がかつて、日本のSFはエンジニアリング(工学)的なアイデア自慢大会に陥っていて、サイエンス(科学)という面では浅いと嘆いていましたが、その傾向はまだ続いていると思います。