アーシュラ・K・ル=グゥインの『壊れた指輪(The Tombs of Atuan)』を読みました。
日本では誰が何を考えて名付けたか「ゲド戦記」と呼ばれるシリーズの2作目です。
本来のシリーズ名はThe Earthsea Cycle。この本は1971年に出ています。
ル=グゥインは『闇の左手』は読んだことがありましたが、このシリーズは初めてです。
そう。
マジで初めて。名前以外は知らなかった。
何でここ強調するかというと、自分で書いている小説のうち『西の天蓋』『ナナカマドの娘』のプロットにちょっと怖いくらい似てたので。
・主人公は「青年と少女」で、1作目の主人公が青年(ゲド/イェビ=ジェミ)、2作目の主人公が少女(テナー/ブレイ)。
・青年は少女と出会う以前に幾つもの冒険を経験してトップレベルの冒険者になっている。
・少女は大昔から受け継がれた知識を継承するために特別に選ばれて、隔絶された場所で教育された。
・青年は少女に読み書きを教える。
・二人は一緒に聖所の內部での冒険をクリアした後、青年が少女を生まれ育った世界から連れ出す(後に夫婦になる)
・少女は暗闇の中で視覚を使わずにナビゲーションする能力を持っている。
・少女は故郷を出た後、老賢者(オジオン/フラビア)のもとで暮らす。
なにこれ怖い。
もちろん、違っているところも多々ありますよ。
ル=グゥインの小説では少女は生まれ育った世界から出ていくことを阻まれますが、私の小説では少女は積極的に送り出されます。
青年と少女の力関係、特に二人が最初の冒険をクリアした後にはゲドはテナーに対して圧倒的に優位に立ち、こうした方が良いというようなアドバイスを与えますが、私の小説では青年は妻にそのようなアドバイスは一切しません(残業をしすぎて恐る恐る帰ってくるということはたまにやらかす)。対等なパートナーとして接します。
この辺は、ル=グゥインの時代のフェミニズムと、現代のフェミニズムの違いが出ているようにも思います。
また、二人でクリアする最初の冒険で人を沢山殺してしまうのは、ル=グゥインでは少女の方ですが、私の小説では青年です。