高田大介『図書館の魔女』1巻書評

 友人から、加藤さんの書く小説に似ているので読んでみてと言われて、高田大介の『図書館の魔女』を手に取った。

 最初に結論を書くと、なかなか頑張って書かれているファンタジー小説。良い商品だと思う。多くの人が楽しく読める小説。メフィスト賞受賞は伊達じゃない。

 私は特殊な読み手で、私のように読む人は日本語世界で5人もいないのではないかと考えるので、以下は『図書館の魔女』についての極めて特殊な感想だと理解して欲しい。

【基本コンセプトについての理解】

18世紀末から19世紀前半くらいの世界に20世紀末レベルの人文学の知識が存在したらどうなるか、みたいな前提で書かれたファンタジー。

歴史学とか文化史とか図書分類法とか音韻論とか工芸デザイン論とか言語学とか、そういったものの発展レベルは1980年代。しかし工学や社会科学は1800年くらいのレベルで止まっている気がする。また、少女のヒロインが20世紀末レベルの人文諸学の膨大な知識を身に着けているというのは、時間的に不可能であろう。

数学など直感的な思考や演算能力さえ突き抜けていれば10歳くらいで大学院レベルまで行ける分野もあるが、ほとんどの研究領域は積み重ねと横の連携で少しずつレベルアップしていくものだし、人文学は情報だけ持っていてもダメで、それらの解釈の訓練にものすごく時間がかかる。だが、メフィスト賞というのは伝統的にそういう「あり得ない設定」を力ずくで押し通した先のアクロバットがウリなので(『姑獲鳥の夏』とか私の周囲では「あんなのありか」「反則だろ」という声がしきり)、ま、メフィスト賞だからねと考えればOKである。

そういう視点から見ると、これは異世界転生チートものの一種と言える。もちろんヒロインはツンデレ。お約束をきっちりと。

【手話の設定が変】

1) 主人公キリヒトは聾唖者に手話を習った
2) その手話は同時法(手話単語と口話の同時発話)であった
3) ヒロインである「魔女」は聴者であるが何故か音声発話が出来ないため、手話を用いる。
4) 「魔女」はキリヒトを含む部下を「指パッチンの音の高さ」で呼び分ける。

まず、補聴器や口話法教育が20世紀後半レベルまで発達していなければ、聾唖者は音声言語の習得は極めて難しいはずである。一方、作中の描写から、この世界では聾者はコミュニティを形成してその中で手話言語を発達させていることがわかる。となると、キリヒトに手話を教えた人物はいったいどんな来歴なのだとなる。

だが「魔女」の発話の速度と内容の複雑さを見ると、これが可能なのは聾者の手話でしかあり得ない。そしてキリヒトもそれを難なく完璧に読み取っている。

同時法しか習っていない人が聾者の手話を通常の速度で読み取ることは不可能なはずだ。それに、ヒロインが繰り出す高度な学術概念の数々が手話単語化されていて、キリヒトがそれらを知っているというのも、端的に言えば「あり得ない」の2段重ねである。でもまあメフィスト賞だから(以下同文

また、「魔女」の手話を聾者の手話と想定すると、発話中にサインネーム(人名を手話化したもの)は頻出するはずだし、それは指パッチンでは代替出来ないはずだ。例えば文庫版91ページで魔女マツリカは手話で「ハルカゼ」と発話しているが、この「ハルカゼ」は指パッチンの音を使ったのだろうか? 素直に指文字なりサインネームなりで人名を発話する方が誤読される可能性も遥かに低いので楽だと思うのだが・・・?

さらに、手話の音素分析みたいな1980年代以降の手話言語学の概念を作中で語っている一方で、同時法や中間手話の概念が出てこなかったりして、どうにも手話研究の社会言語学的な領域がリサーチからすっぱりと抜け落ちている感が強い。

自分がやっていた手話研究は完全に社会学領域だったから、余計にこういうところが気になる。

指点字にしろ読話にしろ手話言語学の奇形的な発達状況にしろ、この作者には、その知識や技法が成立するにはどのような前提条件と歴史的な発展段階が必要なのか、という観点が欠落しているように思える。

【図書館の法的な位置づけがわからない】

「図書館」という組織の法制度上の位置づけがよくわからない。国家予算から運営費が支出されているのか、「図書館の魔法使い」は国家公務員なのか、国家公務員であるとすればそのJob descriptionは何なのか、設置の根拠法令はあるのか無いのか、根拠法があるとして予算の使いみちに制限はかかっていないのか。

何故そんなことが気になるかというと、「図書館の魔女」マツリカの行動目的がよくわからないまま物語が進んでいるのだ。彼女は学術研究が本務なのか、図書館のマネージャーとして雇われているのか、国務大臣的な役割があるのか。

1巻での彼女の行動を見ると、外交とマネージャーが半々であるようにも思えるが、税金から運営費が支出されているのであれば、当然その行動には納税者からのチェックが入るはずだ。自分は西洋史以外は詳しくないが、西洋の中世から近代、それどころか現代まで、国政の最大の争点は「誰がいくら税金を収めるのか、その課税根拠は何か」である。ここが怪しくなると内乱が起こる。

「一ノ谷」は王政と共和制が組み合わさっているという、語義矛盾に思える設定だが(そういうのは議会王政か立憲君主制と呼ぶはずだ)、仮に議会王政だとしても王は課税根拠を議会に納得させなければいずれ反乱が起こるはずなので、「図書館」に国税が支出されているならば、「魔法使い」の業務内容も定義されているのではないかと思うのだが。

【グウェンデ川と一ノ谷の関係がわからない】

どうしてもグウェンデ川と一ノ谷の涸れ川が同じ源流から流下している状況が想像出来ない。

グウェンデ川と一ノ谷川が同じ水系ならば、一ノ谷川が扇状地を形成することは無いのではないか? グウェンデ川が山間部から平野に出たところで大きな扇状地を形成していて、その流路が変わって一ノ谷川が涸れ川として残ったという設定ならわかるのだが。

別の水系ならば「源流が同じでグウェンデ川本流が移動したために一ノ谷川が枯れた」となることは無いはず。

以上、色々と首を捻る箇所はあったが(2巻以降でもいっぱいあったが)、メフィスト賞だからしょうがないのである。これは悪い意味で言っているのではない。メフィスト賞とはそういうものであって、それを求める読者が沢山いるのだから、何の問題もありません。