今日は「兵站貴族」4章を最後までアップ。
『紋章の歴史』は主人公の家の紋章デザインを考えるための資料です。
舞台は近世西ヨーロッパ的な世界ですが、紋章の体系はまだそれほど厳密には設定していません。
軍制や騎士の従者の設定(騎士、騎士見習い、歩兵、弓兵、弓兵、従者で6人。馬は8頭)はフランスやスペインやイングランドのものをミックスしているのですが、馬上槍試合の文化があったかどうかは、まだ考えていません。そうなると紋章にクレストが入るかどうかもわからない。
また、植生は東アジアのものを多く出しているので(水稲、黒松、竹など)、紋章のモチーフも西ヨーロッパとは違うんじゃないかなあと思って、主人公の家の紋章は「三つ巴狐に花菖蒲」という雅なものにしてみました。狐が三匹で円を描いている中に花菖蒲が描かれている紋章。
ちなみに主人公の主君ということになる王家の紋章は「五頭黒竜(5本の頭が生えた黒い竜)/三頭金竜(3本の頭が生えた金色の竜)」ということになっています。
国旗という概念はまだ無い世界で、例えば主人公の国の軍隊が戦場に出る場合は王家の紋章と、軍旗を持っていきます。軍旗は軍隊の旗であって、国の旗ではないのです。国民という概念もありません。自治都市には市民権という概念がありますが、国全体ではそうした概念も無い。
つまり「国家はあるけど国民や国旗は無い」。
これについて少し詳しく説明すると、
少なくとも物語の主要な舞台であるアルソウム連合王国では、「国は王様の持ち物ではない」という考え方が成立しかけている、という設定です。
この地方では元々、部族の長は選挙で選ばれるものだったのが、いつの間にか世襲になり、その世襲の六つの玉座が1軒の家に集まった。そこでその家の当主が六つの国の議会と個別に交渉をして、二度と玉座を分割しないから一つにまとめることを認めてくれという約束をして、連合王国が出来た。こちらに書いた通り。
では、その六つの国がまとまって、同じ言葉を話す人々が一人の王様に統治される状況になったときに、その新しい国は、どんな原則で統治されるべきかという問題が出てきた。
王様個人の興味関心とか、王家の利害をもとに国を統治して良いのか。
そこで、「国というものはそれ自体があたかも一人の人間のように、自らの利益を追求するものである」という考え方が生まれつつある。そういう時代に主人公は、軍隊の兵站担当として外国遠征を経験することで、国の利益とは何なのかを深く考えざるを得なくなる・・・というお話になるのですねこれは。
こちらの世界の言葉を使うなら「国家理性 ( raison d’État / reason of State)」です。
これは、こちらの世界ではマキャベリに始まりリシュリューに継承された概念で、国家の行動原則がそれまでは宗教(キリスト教)や道徳を原則として考えられていたのに対し、国家の生き残りとか経済的繁栄とか威信の伸張といったことを、国家の行動の理由に持ち込んだ際に使われました。
リシュリューは三十年戦争時代のフランスの政治家です。
フランス王家であるブルボン家はバリバリのカトリック。しかし東隣の神聖ローマ帝国と西隣のスペイン王国を支配するハプスブルク家は宿敵です。
三十年戦争でも当然、反ハプスブルク陣営で参戦したい。ところが、ハプスブルク家はブルボン家以上のゴリゴリのカトリック。反ハプスブルク陣営はプロテスタントなのです。宗教や道徳を国家の行動原則とするならば、フランスは反ハプスブルク陣営には加担出来ません。
ところがリシュリューは、良心ではなく理性に従うと、こうするしかないという論法で、プロテスタント陣営でフランスを参戦させます。それほどまでにブルボン家とハプスブルク家の抗争は熾烈だったのです。この抗争は1756年、新興勢力であるホーエンツォレルン家のプロイセンに対抗してフランスとオーストリアが同盟した外交革命まで続きます。先日書評をアップした『仮想の騎士』は、まさにこの外交革命を扱った作品でした。
もちろん、私が書いている架空世界にはカトリックとプロテスタントの対立はありません。そこで、良心や道徳心と国益の対立を、いずれは連合王国の最高幹部になるであろう若者の立場から考えていく。そういうストーリーになります。
もう一冊、『港町のトポグラフィ』は作中に出てくる港の設定作りに使っています。ファンタジーノベル大賞に応募した「竜の居ない国」でも港の構造が作中で重要な要素になっていましたが、「兵站貴族」では新たにイグリム港、ラファル港という国際港が登場しますから、その構造や成立史も細かく設定しています。
イグリム港を擁するグディニャ君主国の政治状況は近世ハンガリーにヒントをもらっています。
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