書評:中村弦『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語』

2008年の日本ファンタジーノベル大賞受賞作です。

近代日本を舞台にした連作短編形式のゴシック小説ですね。マジックリアリズム系イントルージョン・ファンタジーが圧倒的に強いこの賞では珍しいかもしれません。作者の中村弦は本作受賞でのデビュー時に46歳という「遅咲き」ですが、その分、安定した文章力はこの賞の歴代受賞作の中でもトップレベルだと思います。

構成的には最後に投げっぱなしジャーマンスープレックスになってしまったのが若干惜しまれますね。規定枚数を使い切ってしまったので最後を畳みきれなかったのかもしれません。『星の民のクリスマス』でも思ったことですけれども、中断前の日本ファンタジーノベル大賞はタイムアップ直前の投げっぱなしジャーマンでピンフォールは取らないままでも大賞を出すことがありましたし、この辺がラノベ系公募との違いでしょう。また、エンタメのパッケージとしての完成度よりも潜在的爆発力を評価する伝統があり、それが大成する作家を多数輩出してきた理由かもしれないとも思います。

選評では荒俣宏と井上ひさしが作中に登場する建築物が少々平凡なことに苦言を呈していました。たしかに作中に出てくる建築は「さざえ堂」とか「落水荘」とか、建築史の知識があれば元ネタが見えるようなものも多いとは思いました。また椎名誠がスケール感の小ささを嘆いていましたけれども、私はこれくらいのこぢんまりとしたパッケージで完成度が高い作品というのもかなり好きですね。

出来れば単行本化するときに完結編を追加して欲しかったな、とは思いますけれども。中村弦は本作含め3作しか長編を発表していませんが、もしかしたらこのデビュー作でやりたいことの大半をやり尽くしてしまったのかもなあ、と思ってしまうくらいに、完成度の高い小説です。

ここからは余談。

実は私が知る限り、この作品は東京都心を舞台にして日本ファンタジーノベル大賞を取った唯一の作品です。ゴシック小説というスタイルでの受賞もこれと「前夜の航跡」くらいですかね? 21世紀の大賞作品をざっと並べてみたんですが

2019 「約束の果て」中華風異世界・エピックファンタジー
2018 「鬼憑き十兵衛」近世日本・伝奇ファンタジー
2017 「隣のずこずこ」現代日本(地方都市)・マジックリアリズム
2013 「星の民のクリスマス」現代ヨーロッパ風異世界・異世界往還
2011 「さざなみの国」中華ファンタジー
2010 「前夜の航跡」近代日本/現代日本・ゴシック小説
2009 「月桃夜」近世日本(奄美大島)・イントルージョンファンタジー
   「増大派に告ぐ」現代日本(郊外団地)・ダークファンタジー
2008 「天使の歩廊」近代日本(東京ほか)・ゴシック小説
2007 「厭犬伝」日本風異世界・ダークファンタジー
2006 「僕僕先生」中華ファンタジー・ライト文芸風
2005 「金春屋ゴメス」近未来日本・SF
2004 「ラス・マンチャス通信」(未読)
2003 「太陽の塔」現代日本・マジックリアリズム
2002 「世界の果ての庭」(未読)
2001 「クロニカ 太陽と死者の記録」(未読)

作風も舞台も見事にバラけています。ダークファンタジーからライト文芸まで何でもあり。ただし他のファンタジー系公募では鉄板・王道の「な―ロッパ」的異世界もの、ヒロイックファンタジー、LitRPGものは一度も勝っていないということも言えます。いや、「鬼憑き十兵衛」はヒロイックファンタジーと言えなくもないのかな? ここから敢えて傾向らしきものを引き出そうとするならば、定番の舞台やありきたりの設定は100%敗退するってことですね。それしか言えないですね。