『キュレーションの現在:アートが「世界」を問い直す』


2015年の2月に出ているので編集作業は2014年中。キュレーションという言葉が流行っていた時期の真っ最中ですね。

執筆陣もこの時期に日本でこういうコンセプトで本を作るならこうなるよねえ、というラインナップです↓

椹木野衣、五十嵐太郎、蔵屋美香、黒瀬陽平、新藤淳、松井茂、荒川医、石崎尚、遠藤水城、大森俊克、金井直、川西由里、菊池宏子、櫛野展正、窪田研二、芹沢高志、竹久侑、土屋誠一、筒井宏樹、中村史子、成相肇、橋本梓、服部浩之、藤川哲、保坂健二朗、星野太、桝田倫広


内容は、現在の日本の近現代アートをキュレーターとして扱っている人たちそれぞれの立場、価値観から、キュレーションとは何かを考えた論集と対談です。ハラルド・ゼーマン、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、ニコラ・ブリオーらがキュレーションという行為をいかに拡張し発展させてきたのかもコンパクトにまとめられているし、入門レベルの方でもあまり詰まるところなく読めると思います。

オブジェクト指向存在論あたりの最近の欧米の流行ネタは出てこないですが、これはおそらく日本固有の事情として、オブジェクト指向存在論が流行るはずのタイミングで東日本大震災が起こったので、日本国内のアートはしばらくは震災一色だったからなのではないかなと。去年から日本でもガブリエルやメイヤスーの思弁的実在論が流行りはじめてますから、その辺まで取り込んだ本はもう少ししたら出てくるでしょう。

あと、対談パートで黒瀬陽平がかなりズケズケとものを言っていて楽しいです。村上隆やろくでなし子を手厳しく批判してて。

教え子で大学出てから最近まで黒瀬陽平と一緒に仕事してた奴もいるんですが、なるほど気は合うかもなあとか余計なことも思いました。

それで、キュレーションってなんなのか?

少なくとも本来の意味、アートにおけるキュレーションというものは、アートについてちゃんと勉強して、アート以外の世界の様々なホットトピックにも目配りをして、キュレーション行為を通してこれを自分は世に問うんだというポジションを明確に打ち出して、作品を選び、見せることです。私なりに噛み砕いて書けば、そういうこと。

こういうコアが無い「アートイベント」は、仮にどれだけお金集めて派手こいモノを演出してみせたとしても、アートについて継続的に関わり、考え、お金を使い、情報発信している層の心には届かないので、速やかに流れ去ります。TOKYO ART FLOWのようにね。佐藤さん。