立教大学比較文明学専攻の創設のウラ話を、定年退職された先生の私家版の自伝で読んで、そのヤバさに感動した(笑)

立教大学社会学部で教えておられた三浦雅弘先生から私家版の『追悼記』という本を頂いた。

これはタイトルからもわかるように、三浦先生の周囲にいらした、そして夭折された方々の思い出を綴られたもので、暗鬱な描写も多く、決して私が得意とする本ではないのだが、その中でスカッとする部分があった。

三浦先生は元々はいわゆる一般教養所属の教員だった。その「パンキョー」が1994年度で解体されたときに、三浦先生は文学部英米文学科に移籍となった。

しかし英米文学科では完全に外様扱いで、学科長から面と向かって「二級市民」と言われたとある。凄い世界だ。

面白いのはここからで、三浦先生が観察した当時の立教大学文学部、つまり私が1990年から1994年まで学部生として在籍したところなのだが、当時八つあった学科(史学・日文・英米文・独文・仏文・教育・心理・キリスト教・学校社会教育講座)の溝がとてつもなく深かったという。

それに加えて、どの学科にも一人、まさに村八分のような教員がいたとのことである。

「そして、まるでコドモ社会のようだと思ったのは、ほぼどの学科もひとりだけ、村八分というか、仲間外れというか、他のメンバーから孤立している教員が目についたことである。そのような教員が教授会で何か発言でもすると、必ず同じ学科の別の教員がそれに反論するのである。そういった一匹狼的な教員たちが集結して、1999年4月に発足したのが、文学部比較文明学専攻である」

比較文明学専攻旗揚げの秘密

そう、私が博士号を取った学科だ。私は2000年4月に博士課程1期生としてここに入学した。おそらく三浦先生は発足年度を1年間違えておられるだろうが、その経緯は私にとっては痛快そのものだ。比較文明学専攻は良く言えば反乱軍、悪く言えば山賊団だったわけだ。

当時の比較文明学専攻の教員陣というと、思い出せる限りではフランス文学の北山晴一先生、南米文学の野谷文昭先生、英米文学の小林憲ニ先生、インド哲学の横山紘一先生、現象学の佐々木一也先生、文化人類学の阿部珠理先生、日本文学の石崎等先生、中国文学の森秀樹先生といったところか。あとは英語教育の鳥飼玖美子先生。その他、キリスト教学科から永見勇先生が来ておられた。鳥飼玖美子先生はすぐに異文化コミュニケーション学部を旗揚げしてそちらに移り、今では立教の看板学部だ。野谷先生もあれほどの碩学でありながら、「パンキョー」出身ということでひどい差別を受けて怒っておられたとある。野谷先生は2005年に早稲田に移られ、最後は東大の教授になって引退されたわけだから、バカにされる謂れなど無いはずで、残念な話だ。

(ちなみにこの文章は阿部先生の追悼文だ)

三浦先生は比較文明学専攻について

「そのような文学部の現状からの行きがかり上の寄せ集め所帯に何も期待はできないと思った」

と書いておられる。

実際のところはどうなのか。確かに比較文明学専攻で学位を取り、どこかの分野の中心エリアで華々しく活躍している人がいるという話は聞かない。梅原宏司くんが近大の専任教員になったのは結構凄いことだ。

自分自身は、まさに比較文明学専攻の創世神話のままに、一匹狼近寄ると噛まれる危ないというキャラでここまで来ているのだが、ともかく元気で楽しくやっているのは事実である。今の所はカネにも困っていない。正直に言って、この本に書かれているような大学教員の世界で自分が幸せになれる気が全くしない。大事なのは世間的なステータスより自分の幸せである。

ただ、面白いことに、何を思ったかカネにもならない小説を毎日2000字書き続けるという挑戦をしていたら、三浦先生の教え子の1期生である山崎晴太郎さんに呼ばれて、山崎さんの思考の文章化に協力させていただけることになった

山崎さんは間違いなく立教社学の生んだスターの一人である。しゃかげん卒で言えば競歩の絶対女王・岡田久美子さんと山崎さんが出世頭だ。

文学部の山賊団上がりのはぐれ狼がそんな人の隣に名前を出してもらっているのだから、世の中何が起こるかわからない。

そしてこの本で初めて知ったのだが、立教を定年後にすぐに病没された阿部先生は、自伝的な小説を書いている途中だったそうである。

自分は三浦先生にも阿部先生にも大変な恩義があって、とはいえまあその期待に対しては5倍返しくらいはしたと思っているけれども、自分が今、(少数民族や先住民族が裏テーマである)小説を書いているのも阿部先生のやり残したことをどこかで引き継いでいるのかもしれないなと思った。

また、阿部先生と自分の共通の教え子たちに対しては、少なくとも阿部先生の不在をある程度埋められる程度には、卒業後も面倒を見ているつもりである。

じゅり先生カッコよすぎかよ

さて、比較文明学専攻は三浦先生の期待を越えられたのだろうか?

ちなみに妻の卒論の指導教員だったのは、やはり比較文明学専攻に参加された石崎先生である。また森先生や三浦先生の講義にも出入りしていたそうだから、妻はきっと昔から山賊団員が好きだったのだ。

追記:外国産のコンピュータゲームの批評で多分、今一番トガっていて、しかも筆力が伸びている若手論客の羊谷知嘉くんも比較文明学専攻の出身である。

 

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