パミラ・カイル・クロスリー『グローバル・ヒストリーとは何か』(岩波書店 2012)
著者は中国近世史の研究者です。ダートマス大学の先生。
歴史学において、特定の国の歴史や、ヨーロッパ史とかアメリカ史のような大陸単位の歴史叙述ではなく、世界全体の歴史をどう捉えて、どのように叙述すべきかを、様々な視点から検討している本です。
今エブリスタで書いている「兵站貴族」では二つの全く異なる系統の宗教や民族集団の対立が描かれているのですが、主人公の国や文化を中心とした記述にしてしまわないためには、どうしたら良いのか。
色々な示唆がある本でした。
主人公の国は封建制から中央集権的な立憲君主制への移行の最中で、学問も盛んだし、経済政策や金融政策も新しいことをどんどんやっているのですが、だから優れているとか、だから正しいとかいう書き方にしない。
大土地所有制度が残る隣国、議会は10年に1度しか開かれない隣国、それぞれ、色々な事情があってそうなっているだけで、どちらが正しいというものではない。
これがまず私のルールその1。
その上で、社会が大きく変化していくプロセスを描く時に、その変化を必然として描かない。これがルール2。
資本主義や民主主義や世俗化が歴史の正しい進路で、その早い遅いが国によって違う、という、スペンサーやマルクスっぽい書き方はしない。アルソウム連合王国は絶対王政期を経験することなく封建制から立憲君主制に移行しそうな気配もありますし。でもその内実は絶対王政期のフランスやスペインの寵臣政治とあまり変わらず、王様が好みで選んだ首席大臣以下の上級閣僚に国政を丸投げして、その連中が議会対策しながら中央集権化を図っているという設定になっています。要は課税の承認を取れるか、王室の独自財源がどれだけあるか、どういう考え方で国を動かすか(国家理性のありよう)、それを上手く回した奴が次の首席大臣になるという仕組み。
そもそもファンタジー小説は社会構造の変化をあまり描かないものだとは思いますが、実際にはそんなことあるわけないだろうと思うのですよ。
例えばハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ皇帝になってから、その子孫のイサベルがレコンキスタを終わらせるまでが丁度200年。
200年あったら社会は全く変わる。
何百年も前に製造された伝説の武器が蘇って敵を薙ぎ払うなんて、んなもんあるわけねーだろ。工学の進歩舐めんな。ダビスタだって200年やったら強い馬作れる可能性は遥かに上るだろ。タルコット・パーソンズじゃないんだから。
そんなようなことを考えながら読んでおります。