芥川賞作家の李琴峰がNFT小説なるものを売り出したそうで、早速見に行ったけれど一つも売れていなかった。
プラットフォームは最大手のOpenseaで、色々と難しいことを書いてあるが、要は書影に紐づけたNFTを少数売り出して、購入者には本文DLのURLとPWを教えるというもの。
似たような試みは去年の11月にSF作家の小野美由紀も行ったのだが、こちらは1点だけ某炎上インフルエンサーが購入しているが、同じく閑古鳥の展示場と化している。
小野美由紀と芥川賞作家でダメならこの建て付けはダメなのではないか。
現在のNFT市場は値上がりしそうなものに投機的に資金が流れ込む格好なのだが、小野美由紀にしろ李琴峰にしろフェミニズムの強い影響を受けたスリップストリーム文学や純文学であって、そもそも購入者はNFT投機には興味が無いだろうし、譲渡したら(建前上は)読めなくなることもデメリットだろう。
NFTに紐づけることで作家や翻訳家に収入が入るという期待を小野美由紀や李琴峰は書いているが、当該作品が「回し読み」に近いかたちで次々に所有者を変えていくのでなければ譲渡に伴うNFT印税は入ってこない。
だが、待っていればすぐに市場に再放流されるものは二次市場価格も低い。
無理にNFTを使うよりも、超豪華特装本で収録作品は絶対に電書化せず、流通部数も極端に抑える(1ロット10部とか)形でイニシャルの利益を大きく取る方が、こういう人たちには向いているのではないだろうか。
永野護の映画「ゴティックメード」は絶対に円盤化も配信もしない宣言をすることで、いまだに再上映をすればファンが殺到する。
作品の生むキャッシュフローは何に由来するものかをもう少し深く考えた方が良い。