日本のSF批評のレベルがどうにも低い感じがする理由を書き留めておく

ふと思いついてCINIIで調べてみたら、文学としてのSFは日本では「アカデミックに研究している人がいない」と言って良いんじゃないかというレベルでまともな論文が出てこなかった。

これが日本文学や英米文学、フランス文学、南米文学など伝統的ジャンルならば、研究者は数え切れないほどいる。

こうした「研究の厚みの無さ」が、SFを巡る言説のありように強い影響を与えているのではないかという仮説を持った。

せいぜい前田愛の時代の文学研究の道具立て(まで行っていれば激賞して良いかもしれないレベル感)と国内のサブカル批評論壇の語彙や知識の組み合わせに終始しているように見える理由は、まずはこれではないかと。

よくビジネス系の学科で、いわゆる実務家教員という人たちが現役時代の経験を語って「講義」をしているのだが、SFやファンタジーの批評や創作指導というものを拝見していると、同じような印象を受ける。

これはニーズがあるからやっているのだということだろうし、それはそれで良いけれども。

下世話な表現をすると、アカデミズムとは切り離されたところに生け簀を作ってそこで回しているものなので、一度生け簀に入った人たちは、多くの場合、最後までそこでマネタイズされるしかない。広い海に泳ぎ出て行くことは難しい。