いまわざわざロシア連邦の国営の何かにかかわることの将来的リスク

帝国主義・植民地主義の活動を大々的に展開する国家の中にわざわざ外から入っていって、周辺的であるとはいえその国家の称揚する国家像の表象プロジェクトに参画するというのは、ポストコロニアル批評の文脈だとアウト寄りのアウトだったのではないか。

アリよりのナシでもナシよりのアリでもなく。

21世紀に人文系の科目を必修にしている大学や大学院を出て「私にはプーチンの戦争はどうすることも出来ないから」という言明をもってロシアの国威発揚プロジェクト参加の免責の可能性を探る人々がいるというのであれば、「人文学()」と言われても仕方が無いかもしれない。少なくとも過去30年くらいは、そういうことは基本として講義で教えてきたはずなのに、全然理解していない卒業生がいるわけなので。

まあ、渡辺紅月くらいためらいのないZ主義者であればプーチンと一蓮托生ということで、それはそれで個人の選択なのだが、今わざわざロシアの国立学校に留学や就職に行くというのは、Zラベルという中長期的なレピュテーションリスクを考慮すると、かなりの重みがあるのではないだろうか。

例えばクラシックの演奏家や声楽家でCVに2022後半でロシア留学歴があったら

「あなたこの時期にロシアに行ってらしたんですか」

って思われるのではなかろうか。

ハイデガーが死んでからも元ナチって言われ続けているみたいに。

(この喩えでわからないなら「ISがブイブイ言わせてた時にIS支配領域に留学・就職しに行った人と聞いて真っ先に何を考えるか」という思考実験をしてみてはどうだろう)