IASPM1998金沢大会は遠くなりにけり

ちょうど私がDの院生だった頃って、ポピュラー音楽研究が一つの分野として認められつつあった頃で、1998年には金沢で私の所属研究室(三井徹研究室)が中心となって国際ポピュラー音楽学会の世界大会も開催されて、各大学にポピュラー音楽研究のポストが作られたりしていたのですよ。

それで、首尾よくテニュアをもぎ取った人たちが同世代では結構いらっしゃって。

ただ、リサーチマップを拝見すると、ここ10年近くは年に1本、紀要論文を書くか、当時の仲間みんなで集まって「共著」を出して、その1章を担当するか、というような「研究」の方が少なくない。

その是非はともかくなんですが。

「研究」が好きで好きで楽しくて楽しくてしょうがなかったら、そんなペースにはならないんじゃないかなあってことも思ったりします。

せっかくクビになる心配も無く研究者番号もお持ちで科研費に申請出来るのに、もったいないなあ、人生は有限なのになあって。

研究者になりたい、研究者になる、ということが研究者番号を持っていて所属研究機関がある人になるということを意味するのか、研究をどんな形であれ続けていく人間になるということなのか。acadexitという言葉が日本でも広まりそうな今、改めて気になりました。

科研費の申請資格から「研究機関に所属していること」というのを全面撤去したら面白そうです。acadexitした人たちが大挙して科研費争奪戦に雪崩込んできたとき、何が起こるのか。

正直に言えば私は当時JASPMにいた若手院生たちとは気が合わなかったけれども、もうお互いに50を越えたか越えようかという今、彼・彼女らに期待するのは「ああ、あいつはあれからも峠を上り続けてあんな高いところまで行ったんだな。凄いな」と素直に拍手を送れるような存在であるということ。

まだ10年あります。頑張ってください。もうひと踏ん張り!