かわいそうな東大男子たち


日本の女性がその能力の発揮の機会を(イスラム諸国と韓国を別にすれば)極めて制限されていることは、各種統計からも明らかだ。それさえも認めない、あるいはそれで問題無いという方々とは議論してもしょうがない(コスパが悪すぎる)と思う。

では、そうした状況の改善に上野演説は役に立ったのか。役に立つのか。これから。

これは個人的にはかなり厳しいと考えている。

自分も女性のキャリア支援は散々やってきたし、上野演説の当日にもブラック企業のパワハラ男性上司の下で凄惨な抑圧を受けていた女性の転職支援プロジェクトが完了したという連絡を受けたほどである。

そうした活動を通して思い知ったのは、自分がやっているのは下流での緊急避難支援であって、本当に必要なのは上流での根本的な社会変革であり、そのためには日本社会の権力のほとんどを牛耳っている大和民族男子の意識を変えていくしか無いということ。

もちろん、その大和民族男子の中でも最も強力な権力を持っている社会集団の一つが東京大学出身の男たちである。

では、その「東大男子」たちが晴れて東京大学に入学するその日その時その場所で、いきなり他大の不正入試の話だの、彼ら自身には責任の無い東大における女子比率の低さだのを持ち出して、あんたたちはいかに恵まれているか自覚せよとお説教をしたとしよう。裕福な医者の家に生まれて京都大学を出て日本の社会学の世界でも最強レベルの権力を何十年間も握り続けてきた勝ち組のお婆ちゃんが。

東大男子にしてみれば、入学式会場でいきなり自分の責任じゃない話で頭からカレーライスぶっかけられたみたいな気分にならないか? しかもマスメディアやSNSでバズったことで、上野演説に文句を言った東大男子たちは「バカ」だの「これだからボンボンは」だのの追加爆撃まで食らう羽目になった。

陰険にも程がある。

きっと、あそこにいた東大男子の無視しえない割合が、生涯かけてアンチフェミニストを貫く決意をしたことだろう。

それが行く行く、どんな影響を日本社会に及ぼすだろうか。想像しただけで暗澹たる気分になってくる。

上野千鶴子はあの演説で取材は殺到し、きっと今頃また本の執筆依頼だと講演依頼だのも舞い込んでウハウハである。ファンも増えた。おひとりさまの老後の資金をがっちり増やすことになるはずだ。多分。

だがその代償として、東大男子の中に筋金入りアンチフェミニストをいっぱい作ったのである。多分。

対立を煽り、大衆向けのパフォーマンスを展開して自分の利権を太らせる運動家はもう要らない。相手が受け入れやすい語り口で、考えるきっかけを作ることが出来る人を、東大は呼ぶべきだった。

なお、前述の転職支援プロジェクトにおいて、事情を全て理解した上で快くご助力くださったのが東大卒と名大卒の男性たちであったことをここに明記しておく。