本末転倒(報道を見る限りにおいて)

 八ツ場ダムの建設続行か中止かという議論が盛り上がっています。

 その経緯や水利面でのダムの必要性については私は調べていないので、何とも言えないのですし、建設続行か中止かについてのこれといった意見も無いのですが、現在の建設継続を求める運動や主張にはかなりの違和感を感じ始めています。

 群馬県長野原町の八ッ場(やんば)ダムをめぐり同県町村会は二十五日、国が示した建設中止方針の撤回を求める決議をした。十月九日に鳩山由紀夫首相や前原誠司国土交通相らに建設の継続を要請するとしている。
 決議は、鳩山政権の政治手法を「地元住民の総意を覆し、関係都県や地元の町の自治権を否定する行為」と批判。前原国交相の建設中止表明について「苦渋の思いでダム建設を受け入れた住民を、再度不安の境地に立たせることはできない」と問題視している。
 長野原町の高山欣也町長は「ダムが建設されないと、水没予定地の川原湯温泉街や住民の移転事業が無意味になる。ダム湖を町の新たな観光資源に位置付ける観点からもダムと地元の生活再建は切り離せない」と訴えた。

 この報道を見る限りにおいてですが、長野県町村会の主張は「ダム建設予定地の住民や関係都県の意思がダム建設の可否を決定する」というように読めます。つまり、水利上そのダムが必要なのかどうかとか、国税による事業の是非についての、国民の意思(総選挙においてダム中止のマニフェストを掲げた政党の圧勝)をどうするのかという論点が欠落しているのではないか。

 前原国土交通大臣は、ともかく総選挙における国民の判断を背負って交渉に行かれたわけですから、交渉のテーブルを蹴飛ばして退場するような態度は、ちょっと違うのではないか。自分たちの都合と気持ちだけではなく、国民の判断にも一定の敬意は持つべきではないか。これが一つ。

 そして長野原町長さんの理屈。ここではダム建設が長野原町の観光資源として必要だから建設続行、というように、やはり水利上の必要性を巡る議論が完全に捨象されて、ごく限られた狭いエリアの住民にとっての都合が著しく悪くなるので中止反対・・・となってしまっています。

 どうにもこれでは議論が噛み合いません。ダムというのは観光資源を作る為に建設するものなんでしょうか? 南山の場合は公共事業ではないので、意志決定権を全て持っておられる地権者さんたちが事業続行、と判断すれば、それでもう続行になってしまうわけですが、こちらは国が実施する公共事業ですから、国民の判断との間での意見調整を拒否する「地元の都合」というものだけでは、今後、地元の方々に対する国民の心証が悪くなってしまう恐れもあるように感じます。

 「交渉のテーブルに着くことは、事業の実施を認めることになるから、交渉には出席しない」とは、南山問題で反対派の方々がちょくちょく使われた論法ですけれども、その論法が建設的な結果を生み出したようには思えません。「誠意は尽くした。そろそろ交渉をお願いするのは終わりにして、先に進ませていただきます」となるだけではないでしょうか。