【パーソナルブランディングってこういうことです短編小説】中堅女優のモヤモヤ(後編)

Sさんは話を続けました。

「演技力が要求される地味な脇役ならLさん、というブランド認知はもう出来上がっています。黙っていてもそういう仕事が来ますし、そういう仕事をこなしていれば業界では手堅いチョイスとして常にLさんの名前は思い出してもらえるでしょう。ですよね?」
「そう思います」
「なので、演技力のある脇役というブランドをLさんのメインブランドとします。Lさんと言えば演技力のある脇役の定番、ここは崩しません。でもそれだけでは終わりたくないので、新しいサブブランドとしてヴァーハ的な悪のヒロインのブランドを立ち上げましょう」
「芸名を増やすんですか?」

バンドやアイドルが新しいスタイルに挑戦するときに別の名前のユニットを立ち上げるのは、よくあることです。しかしSさんは首を振りました。

「せっかくメインブランドの知名度があるのだから、それを生かさない手はありません。メインブランドの知名度や信頼を借りる戦略です。これをエンドースト・ブランドと言います」
「エンドースト・ブランド? どういう意味ですか?」
「エンドースとは裏書きするという意味です。メインブランドの品質保証がついたサブブランドですよという意味です」

それからのLさんは、仕事では相変わらず地味な脇役が多かったのですが、インスタグラムでは意識してそれ以外の自分も見せるようになりました。ハッシュタグは「#10年後のヴァーハ」というものを考えました。狙ったのは王道ヒロインの対になるような闇のヒロインというポジションです。

悪女が出てくるドラマや映画も意識して見るようにして、表情の作り方やポーズ、メイク、コーディネートを研究しました。

LさんはSさんに尋ねました。

「これでいつか悪のヒロイン役がもらえますかね?」
「役の大きさはわからないですが、やり続けていれば近いうちに必ずもらえます」
「何故そう言えるんですか?」
「ブランディングというのは撃った弾の命中率を上げることなんです。もしもLさんが狙っているのが10年に1作しか撮らない監督の映画の主演女優みたいなスーパーレアカードだったら、命中確率を10倍に上げても10万分の1が1万分の1になるだけですし、10年に1度、1回だけ撃てる弾の命中確率を改善して1万分の1になっても、そもそもチャンスが少なすぎます。でも悪女役のオーディションはそうじゃないですよね? 半月に1度くらいはあるんじゃないですか?」
「それくらいはありますね」
「1年に24回撃てる弾ですね。競争率はどれくらいなんですか?」
「50倍くらいですね」
「普通にやっていても2年に1発くらいは命中しそうですね。でもLさんは悪女役を研究しているから、色々な悪女を表現出来るようになりました。それだけでも命中率は上がってます。近いうちに的に当たるでしょう」
「頑張ります」
「頑張ってください。では最後にもう一つだけ、とっておきのレッスンです」

Sさんが微笑んだ。

「オーディションに行く時には、必ず、自分が監督ならどんな悪女の演技が欲しいのかを考えておいてください」
「自分が監督なら、ですか?」
「そうです。自分が選ぶ側だったら、どんな演技が欲しいのか。その演技が出来るかどうかを見極めるとしたら、オーディションに来た女優さんのどこを見るのか。わかりましたか?」
「はい!」

Lさんが金曜夜の連続ドラマの悪女役に抜擢されたのは、それから数ヶ月後のことでした。このドラマでのLさんの演技は狂気を全面に押し出した衝撃的なもので、放送のたびに役名がツイッターのトレンドランキングに入りました。Lさんのインスタグラムのフォロワー数も一気に増え、半年後には10万人を越えました。

このドラマ以降、Lさんの役柄は悪女と地味な脇役が二本柱となり、日本アカデミー賞の助演女優賞にもノミネートされるようになりました。