【パーソナルブランディングってこういうことです短編小説】中堅女優のモヤモヤ(中編)

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なるほどと思ったLさんは、それからは意識してポーズや表情や服を工夫した投稿をするようになりました。画像の加工も色々なサイトを見て勉強した結果、いいねの数もフォロワーの数もじわじわと増え続けて3万人に届きました。

ですが、一つ問題がありました。

Hさんは売れっ子ですし、モデルの仕事もしているので、プロカメラマンに撮ってもらう機会は沢山あります。最近はバラエティ番組への出演も多いので、人気のお笑い芸人たちと一緒に写真を撮ってもらうチャンスも定期的にやってきます。

一方、Lさんは地味な脇役や舞台の仕事ばかりで、Hさんのような華やかな画像はなかなか投稿出来ません。

そんな悩みをSさんに伝えると、返ってきたのはこんな返事でした。

「ではそろそろ、次の段階に進みましょうか。これからLさんのブランディングをやっていきましょう」
「あの、ブランディングってなんですか? 今までデータを見ながらやってきたことと何が違うんですか?」
「今までやってもらったのはブランド・コミュニケーションの改善です。Lさんというブランドのことをどうやってマーケットにいる人たちに伝えるか、その基本的な技術を学んでもらいました。これからやってもらうのは、Lさんというブランドそのものを整理しなおすことです。ところでLさんは整理という言葉の意味を知ってますか?」
「片付ける、みたいな意味ですか?」
「違います。字を見てください。整えるという字は乱れを直して形を正しく揃えるという意味です。そして理という字は宝石の原石を磨いて輝きを出すという意味です。つまり、形を正しく揃えて磨き上げ、輝きを出す。これからLさんを宝石として磨き上げていきますよ」

最初にSさんがLさんにやらせたのは、20年にもなる芸歴の中でやってきたお仕事を古い順に全て並べて、それぞれの仕事の思い出を書き出すことでした。Sさんが言いました。

「長いこと仕事を続けていると、自分が何をやってきたのかをパッと一言で言い表せなくなります。これはどういう状態かわかりますか?」
「わからないです……」
「自分はこういう人間だということがわからなくなっている、ということです。Lさん、あなたはどんな女優なんですか? 一言で今言えますか?」
「言えないです……」
「そこがはっきりしていないと、どうやって自分を見せていけば良いかもわからないですよね」

Sさんの言う通りでした。

そこでLさんは昔の画像や資料をひっくり返しながら、自分の芸歴を整理してみることにしました。それをやっているうちに、Lさんは、自分でも忘れていたことを次々に思い出しました。楽しかったこと、つらかったこと、感動したこと。

半月後、LさんはSさんの事務所で話し合っていました。

「自分で振り返ってみて、客観的に自分はどんな女優に見えましたか?」
「地味な役者だなあって思いました」
「地味というのは?」
「劇的なキャラやぶっ飛んだキャラってやったことが無いんですよね。不治の病で死んじゃう子の役じゃなくて、その子が入院してる病院の看護師さん役なんですよ。私がやるとしたら。カッコいい男の子にグイグイ迫る役じゃなくて、そのクラスメートとか」
「大事な役ですよねどちらも」
「そうなんですけど、記憶に残らない役じゃないですか」
「記憶に残ってみたい?」
「たまには。私、これが代表作だってものが無いんですよ。地味な脇役ばかりだから」
「そうでしょうか?」

Sさんは手元のスマートフォンで何かを検索してから、Lさんに見せた。

「これは?」

そこに写っていたのは、赤いドレスを着て不敵に微笑むLさんの姿でした。Lさんは10年前、特撮ヒーロー番組で敵の女幹部のヴァーハ役を演じていたのです。

「それは……」
「今でもLさんの名前の予測変換の一番上に出るのがこれですよね」

たしかにヴァーハ役を演じていた時にはイベントであちこちに行きましたし、映画にも出ました。今でも当時のファンからは「ヴァーハ様」と呼ばれるLさんです。ですが、今見ると当時の演技は下手だなあと思いますし、レギュラーとはいえ脇役で出た子供向け番組を代表作とは言いたくない気持ちもありました。だから、スピンオフ作品やシリーズ作品でまたヴァーハ役をやってくれないかと頼まれても全て断ってきたのです。

「黒歴史ですか?」
「はい」
「もう思い出したくない?」
「いえ、ヴァーハ役はすごく良い経験だったんですけど、いつまでもヴァーハのイメージを越えられないのが悔しくて」
「それで地味な役ばかり選んできたんですか?」
「王道ヒロイン的な役のオーディションも沢山受けたんですけど、受からなかったんです」
「ヴァーハ的な悪のヒロインみたいな役は?」
「幾つかお話は頂いたんですけど、断っちゃいました。そのうちお話自体が来なくなりました」
「それはもったいないですね。今でも予測変換でヴァーハという役名が出てくるということは、Lさんのファンにとってはヴァーハを演じていたLさんは大切な思い出なんですよ」
「なるほど……」
「その思い出を否定するような態度をLさんが取れば、せっかくファンになってくれた人たちが離れていってしまいます。Lさんというブランドに裏切られた、Lさんに嘘をつかれたとファンが感じるからです」
「ヴァーハを封印したのは裏切りなんですか?」
「こう考えてみてください。あるブランドがこれはお勧めですよといって大々的に売り出していたお皿のセットがありました。ところがそのブランドは翌年、唐突にその製品を生産中止にしてしまいました。そのお皿を気に入った人たちが再生産してくれとどれだけお願いしても、梨のつぶてです。さて、このブランドはお客さんに愛されるでしょうか?」
「……微妙ですね」
「お客さんとの信頼関係を壊してしまっていますからね。つまり裏切りです」

そこでLさんはSさんと相談して、ヴァーハのファンだった人たちをLさんのインスタグラムのフォローにする計画を立てました。といっても、当時の衣装はもうありませんから、似たような色と形の服を探してきて、メイクとヘアも当時の雰囲気を残しつつ今風に仕上げてもらって、プロのカメラマンにスタジオで撮影してもらったのです。

「10年前に戻れということじゃないんですよ。その後の10年間でこれだけ成長して大人になりましたよというものを見せるんです。ヴァーハ風の衣装はそのための切り口です」

果たして、インスタグラムに投稿された「10年後のヴァーハ」の写真にはとんでもない数のいいねが付き、ウェブメディアの記事にも取り上げられました。

「これではっきりしましたね。市場がLさんに求めていたものの一つは、ヴァーハ的なキャラだったんですよ。今回やってみて嫌でしたか?」
「いえ、とても楽しかったです」

これは正直な気持ちでした。10年前にやり尽くしたと思っていたものも、あれから10年間コツコツと演技力を磨いてきた今ならば、遥かに色々な表現が出来ることにLさんは気づいたのです。それに気づいてしまうと、このまままたヴァーハを封印してしまうのがとても惜しくなってきたのでした。