分倍橋周辺実踏調査

 今日は自転車で府中に行って来ました。

 まずはハローワーク府中へ。仕事を探しに!
 なんてことはありません。
 
 私の自宅の住所で登録されてたこの事業所のデータ抹消で立ち寄りました。カタリスト株式会社カラフルピープル設立準備室。もう私はカタリスト株式会社とは無関係だし、先方もカラフルピープル神保町としてハロワに求人を出しているので、これは不要です。
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 根性や気合いを頼りに体力営業を推進する、育児より会社だろみたいなとこでしたね。個人的な感想ですが。まあそれぞれ信じる道を行くのが一番です。
 さて分倍橋。
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 新田川緑道と旧鎌倉街道が交差するとこにひっそりとありました。すぐとなりには分倍河原古戦場の石碑。司馬遼太郎はこれを意識して、作中の決闘の場所をここにしたのでしょか。

 さて、『燃えよ剣』で

「甲州街道をいまの西府農協のあたりまできたとき、「おい、右に折れよう」と、あぜ道に入った。」
という下りがどうにも気になるので帰ってから古地図を調べてみたところ、以下のようなことがわかりました。
江戸後期には甲州街道は現在「旧甲州街道」と呼ばれているところを通っていたのですが、江戸初期には更に南、現在の分梅通りや品川通りの位置にありました。
つまり、司馬遼太郎は甲州街道の位置を間違えて書いてたんですね。おそらく。
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なお、分梅橋がかかっていた川は新田川といって、今は緑道になっています。この新田川は鎌倉時代には多摩川の流路だったはずで、だから新田義貞が北条泰家と戦った分倍河原の戦いの古戦場の碑が立っているわけです。
新田川沿いの桜は今が満開でした。いやあのんびりした。