「ナナカマドの娘」第2エピソードあとがき

「ナナカマドの娘」の第2エピソード「南極星像の秘密」編はいかがでしたか?

このエピソードは、東方軒という店がどんな客層を集めているのかを提示するというのがそもそもの役割でした。

最初のエピソードでブレイとイェビ=ジェミの夫婦としての関係性を50:50にして、その次に二人の生活の場を具体的に描く、という順番です。

そのために、他の作品でもちょくちょく出てくるハルディンというキャラを主人公夫婦のガイド役にして、ブレイが勉強用の本を買いに行ったら、思いがけず貴重な古書を巡る事件に遭遇する、という仕立てにしました。

古書の由来については、盗品とか発掘品ということにするプロットも検討したのですが、最終的にはお読み頂いたように、「たまたま庶民が所有していた貴重書」という設定にしています。

モデルにしたのは「ダロウの書(The Book of Durrow)」というケルト系の写本です。

表紙

(ダロウの書)

この写本は7世紀中頃にアイルランド島かブリテン島で制作された装飾写本で、内容は福音書です。アイルランド中部のダロウにあった修道院で、何百年もの間、お宝として受け継がれていました。

しかし16世紀にイングランド王・アイルランド王のヘンリー8世が国内の修道院の解散を命じると、この至宝も流出します。最終的にはダブリンのトリニティ・カレッジの図書館に収納されたのですが、修道院解散からトリニティ・カレッジに収められるまでのおよそ50年間に、牛飼いが水の中に沈めて呪いに使っていたという話があります。

さて、ヘンリー8世の修道院解散は、1534年に成立した国王至上法(Act of Supremacy: イングランド王がイングランドのキリスト教徒の最上位であるとする法律)を経て、1535年のSuppression of Religious Houses Act 1535と1539年のSuppression of Religious Houses Act 1539によって行われました。

Suppression of Religious Houses Actはあまり日本語には訳されていない法律なのですが、「修道院抑制法」とでも訳せるかと思います。

その目的はずばり、修道院財産の国庫への編入です。

ヘンリー8世時代のイングランドの王室財政は火の車でしたからね。

この時代のイングランド王室と議会の関係は、アルソウム連合王国の王室と議会の関係のモデルになっています。『竜が居ない国』でソルとセヴィが話し合っていた「王室自活の原則」は、ずばりこの時代のイングランド王室のものです。

この、「王室財政と(議会の承認が必要な)国家財政の二重構造」は『竜が居ない国』のプロットに大きく関わっています。そちらもお楽しみに。

それから、葡萄棚地区の「周囲から隔絶された街区構造の一帯」というイメージ。これは、吉原や飛田の遊郭がモデルです。特に飛田新地ですね。確かにそこにあるんだけれど、誰もはっきりとは口にしない街。最近はどうなのかわかりませんが、20世紀の飛田新地は街の中でカメラを持つことすら憚られた(というよりも、ヤバいのでそんなこと出来なかった)といいます。ああいう場所は色々と詮索されたくない人たちが暮らしているわけですから、写真などもっての他ということですね。

飛田新地、私も一度だけ歩いたことがあります。朝。

なかなかの雰囲気でした。やっぱり緊張感があったな。もちろんカメラはしまったまま。

ただ、綺麗事は置いておいて、都市にはああいう場所も必要なんですよね。飛田新地に隣接するあいりん地区もですけど。

だから、葡萄棚地区も、単純に救いのない貧困層の集まる場所として描くのではなく、人生をリスタートさせることも出来る場所として描きました。

それと、作中に出てくる「ナツメ書房」のモデルはこちらの夏目書房さんです。立教通りで長い間店をやられていたのですが、一昨年でしたかついに畳まれて、残念な限り。現在は神保町で営業しておられます。アート系に強い古本屋さんです。

私はアート系の講義を多数持っていたので、講義の帰りによく夏目書房に立ち寄って写真集や本を買いましたよ。

これで「ナナカマドの娘」は折返し地点です。

もう一つ、同じくらいの規模のクエストをブレイとイェビ=ジェミにクリアしてもらって、最終クエストに突入です。

最終クエストではチェプサリ先生もチェレク大学での半年間の客員教授の仕事を終えて帰ってきますし、『兵站貴族』に出てきた面々も一気に登場して、結構大きなお話になる予定。

全体のラストシーンはもう決めてあります。

若夫婦に子供が出来るところがラストシーン。

「めぞん一刻」みたいな。

HPIM0569.JPG

(セイヨウナナカマド)

竜が居ない国』をある程度進めたら、またこちらに戻ります。

引き続き「アルソウムの双剣」シリーズをお楽しみください。