今書いている小説の後半のイメージがゲイリー・ムーアの1986年のアルバム”Wild Frontier”なので、昨日久しぶりにタイトル曲で検索したら(CDもLPも所有してます念の為)、2010年のゲイリー・ムーアのライブの動画が出てきた。
2010年のそのライブの動画に出てくるゲイリー・ムーアは病的に太っていて、コンディションは非常に悪い。何があったのかよくわからないが、とにかく晩年は残念な感じの人だった。
これは見ないほうが良かったと思いながら、いわゆる「そっ閉じ」をしようとした瞬間、ステージ上手でキーボードを弾いている人物の顔に目が止まった。
あれ? これは??
なんかニール・カーター先生に、似てる。
ニール・カーター先生。
1984年から1989年までの5年間、ゲイリー・ムーアの片腕として大活躍したマルチプレイヤー。キーボードとギターとサイドボーカル担当。ゲイリー・ムーアの作曲パートナーとしても有名曲を何曲か書いている人物。
1990年にゲイリー・ムーアがブルース・ロックに転向したのを期にロックミュージシャンを引退して、1993年からはイングランドの名門パブリックスクールの音楽の先生をやっていた方。
自分は彼の引退前の最後のワールドツアー(ゲイリー・ムーアの「アフター・ザ・ウォー・ツアー)を名古屋市公会堂で見ている。そして音楽の先生になった後にちょっとだけメールをやり取りしたこともある。
この人の声はいわゆるハイトーンボイスで、それがゲイリー・ムーアの声と合わさると、唯一無二のサウンドになっていた。リズムギターもきっちり弾けるし、ライブの”All Messed Up”ではゲイリーと交代でリードヴォーカルも歌っていて、これもかっこよかった。
そのニール・カーター先生がロックミュージシャンを引退された時に、ライブは楽しいけれどツアーがとにかく辛かったと書いておられて、あのクラスのミュージシャンでもそんななんだ、と思った記憶がある。
それから20年後、2010年にゲイリー・ムーアが久しぶりにハードロックをやろうとした時に声をかけられて、ロックミュージシャンに復帰したらしい。ちなみにニール・カーター先生が教えていたのは、ゲイリー・ムーアが住んでいたブライトンにあるブライトン・カレッジ。つまり、二人はずっとご近所さんだったらしい。
ゲイリー・ムーアがその翌年に死んでしまったのでプロジェクトは頓挫。ニール・カーター先生は2014年までブライトン・カレッジで教えてから教職も引退してブライトンを引き払った。
ところが去年、彼の古巣のUFOのキーボーディストがツアー中に急死してしまい、60歳にしてまたもやロックミュージシャンとしてワールドツアーに出ることになったという。
ブライトン・カレッジのウェブサイトにも、あのニール・カーター先生がUFOに復帰したぞというニュースが掲載されている。
UFOのライブの動画を見たら、やはりニール・カーター先生は体型もスリムなままで、コンディション抜群。
なんだか羨ましい人生。