すっげー恥ずかしい言葉

「そこに群がる奴等は何者だ? 俺の古馴染みの敵どもだな? 妥協、偏見、卑怯の亡者共だな? なに、和睦しろ? 真っ平だ。飽くまで戦うぞ! 貴様達は俺のものをみな奪い取る気だな。桂の冠も、薔薇の花も。だがな、貴様達にはどうしたって奪いきれぬ佳いものを、俺はあの世に持っていくのだ。神の家に入るとき、青い広々とした敷居を清めて持って行く。しわもつけず、しみもつけず持って行く。それは、俺の心意気だ!」

 ご存じ、「シラノ・ド・ベルジュラック」の最後の長台詞です。なんかすごく恥ずかしい台詞ですよね。でも、文句無しに格好いい。読んでいるとスカッとする。これは何故なんでしょうか。

 私は大学で何人かの哲学の先生の講義を受けました。私自身の専攻は哲学ではなかったですけども。その講義の中で、とても印象に残っている言葉が二つあります。

 インド哲学の先生はこう断言しました。「世の中で一番大切なものは愛です。愛に決まっています。」

 現象学の先生はこうおっしゃいました。「学問は真・善・美という価値に結びついていなければいけないのです。」

 「愛」ですよ。そして「真・善・美」ですよ。

 みなさん、こんな事を人前で言えますか? 少なくとも日本でこういう事をはっきりと言う人は滅多に居ない。それどころか学者というのは客観性を身上としますから、自分の研究が何かの絶対的な価値に結びついているなんて、口が裂けても言わない人の方が多いです。圧倒的に多いです。だから、お二人は非常に珍しい種類の先生だったと思います。

 しかし、それから私も色々と見聞を広めるうちに、お二人の気持ちがなんとなくわかるようになってきました。今の日本には、真っ正面から愛とか真理とか善とか美について語る人があまりにも少なく、そしてそれはちょっと不健康なことではないかと感じるのです。

 もちろん、流行歌やメロドラマには愛だの恋だのが溢れています。でもそれは、非常に限定的な愛です。異性とか同性とか、とにかくある特定の個体に関する好意についてのお話です。西洋の哲学用語で言うところのエロスeros(性愛)についての歌ばっかりで、アガペーagape(人類愛・隣人愛)についての歌はなかなか日本語では出てこない。これが英語の歌だと、さすがにキリスト教徒が多いからか、それっぽい歌も多いですけどね。

 逆の立場の人ならば、沢山います。お金で愛が買えるだろうと断言するホリエモン氏みたいな方。彼が本気なのか韜晦なのか私にはよくわからんですが。ヤフーブログのアクセス数上位は
エログと金儲けブログと芸能人ブログだし、理想を語る言葉に水を浴びせる為の紋切り型の批判もいっぱいある。いわく、「理想論だ。」「机上の空論だ。」「非現実的だ。」「甘ちゃんだ。」「左翼だ。」「アカだ。」「ガキだ。」

 ですが、そういった批判の言葉を気軽に使う人々の99%は、本当に現実を見据えた上で、世の中を改善していく為に有効な、現実的な手段は何かを真摯に検討しているように見えません。単なる現状肯定。現状改善は誰かがやってくれるだろうというだけのズブい個体です。むしろ、現実を見据えつつ本気で世の中を良い方向に変えていこうという方は、必ず理想についても語っているような気がします。

 例えば先日少し紹介した社会学者の内藤朝雄さんは、どうしたら世の中からいじめを減らせるかを真剣に考えて、その現実的な手段を模索しておられます。経済学者の松井彰彦さんという方(東大経済学部の大スターで国際的にも一流の学者とされています)も、『市場の中の女の子』という本の中で、地球上から貧困を減らす為には、市場システムをどう手直ししたら良いのか、考えていきたいという決意を、驚くほど純粋に語っておられます*。

 こういった方々が理想について語る時、その一語一語が持つ凄み、重みは、軽薄な混ぜっ返しを許さないだけの力強さを帯びています。航海カヌー文化復興運動に関わる方々もそうです。ナイノア・トンプソン、故クレイ・バートルマン、チャド・ババヤーン。みなさん、一撃で聞く者の一番奥深い所に到達するような言葉を持っておられます(ました)。それは実弾の下をかいくぐって来た方だけが獲得できるものです。現実世界の中をはいずり回り、実弾で撃たれながら、それでも理想に向かおうとする心意気です。シラノです。

 きっと、このウェブログをお読みになっている方も、みなさんそれぞれにそれぞれの現実の中で、多かれ少なかれ苦闘しておられると想像します。ということは、みなさんも一撃で聞く者の一番奥深い所に到達するような言葉を繰り出しうるという事です。泥にまみれながらも理想について語る言葉です。

 本音を言えば、大事なのは愛だと思っている。本音を言えば、嘘はつきたくないし他人に喜ばれることをしたいし、綺麗なものを作りたい。だったら、たまにはそういう、ちょっと恥ずかしい話を口に出してみたほうが良いんじゃないかと思うのです。だって、言いたい事があるのに我慢して言わないのって、健康に悪いじゃないですか。言いたい事ははっきり言う。「大事なのは愛なんだぞ!」くらい言ったってバチは当たらないっすよ。だって本当のことなんだもん。

 心の片隅には、愛や真・善・美を求める気持ちを置いておきましょう。そして、たまにはそれを口に出してみましょう。自分自身の美容と健康の為に。

 誰が言ったか「日本の言葉はアイから始まっている。」

 だったら性愛以外の愛についても、私たちはもう少し真面目に語って良いはずですよ。

* 松井さんのウェブサイトには時々挑発的な言葉がアップされますが、良くみるとそれは常に後進に向けた叱咤激励の愛の鞭です。