読解力の女神の文章力に私が失ったものは笑いではない

ツイッター止める宣言から3ヶ月ほどで順調にツイッター平常運転に復帰した読解力の女神様。

また愉快な爆撃で人々を楽しませてくださっているようです。
イメージ 1

オセロの玉の状況を自然言語で最低限の言葉数で表現するというのがこの単元の目標のようです。
イメージ 2

PCを使わなくてもプログラミング教育は出来ると言いたいようです。ま、これはこれで意義があるし面白い授業になると思うのですが、それで綺麗に終わらせることは絶対に無くて、わざわざ誰かを挑発して無駄に敵を増やすのが新井紀子スタイル。

イメージ 3

「オセロの並びを正確に無駄なく確実に伝える能力」と、「スクラッチでプログラムを書いて動くところまで仕上げた経験(何かのプログラミング言語でゼロからプログラムを書き起こしてちゃんと動くところまで持っていった経験という意味)」は相互排他的なものではないので、並べてどっちを取るか質問することに何か意味あるのかって思います。

そんなの「オセロの並びを正確に無駄なく確実に伝える能力」を持ちつつもスクラッチでプログラムを作り上げたことがある人材が一番だし、GoogleやMicrosoftやAmazonやAppleやNVIDIAみたいな情報系企業様なら、そういう人材の山から欲しい人を選び放題ではないでしょうかね。
国内のSIerならまた話は別かもしれません。
相変わらず他人に正確に伝えることに無頓着な人なので、もしかしてこの人、プログラミング言語としてのScratchのことを言っているのかなあとも思ったんですが、Scratch2.0がリリースされたのが2010年で、日本で普及しだしたのは2012年くらい(Coder Dojoが国内に出来始めた時期)ですからね。
2012年に小学校6年生でScratchを触り始めたという子でも今やっと高校3年生。新卒一括採用の美学を貫く内資大企業の会議室で若手社員中堅社員に上から目線でうざいマウンティング質問食らってこいつら財布とiPhoneを目黒川に落とせば良いのにとか思うには、あと4年は必要です。だから、プログラミング言語としてのScratchの話をしているのではないと理解しました。
ま、プログラミング言語としてのScratchを仮に念頭に置いているとして、まだ多分大学生にもなっていないであろうScratch経験者の、内資企業の新卒採用プロセスにおける評価の話を妄想でカマしているとしても、結論は変わりません。
オセロ作文とScratch経験は相互排他的じゃないから比べるのは無意味。
他にもこんな思いつきの煽りまで並べるサービス精神の良さに笑いと感謝が止まらない。
イメージ 4

何故「全然「有効」じゃないって、伝わ」るのかちゃんと説明しないと、「そりゃ単に新井紀子に何かが欠落してるから受信出来ないだけだろ」って言われちゃうぞ。コラージュとインスタレーションの違いもわかっていないって時点でそこはバレバレだけどな。

イメージ 5

これがコラージュ

横浜トリエンナーレ2011にて。
あと、これも変ですよ。
イメージ 7

プログラミング教育の必修化は2020年からだし、プログラミングは独立した教科ではなく既存の教科の中で使いましょうということだから、少なくともプログラミングによって時数は増えません。

新井紀子さんはプログラミングという教科が追加されたパラレルワールドの2020年にジクウドライバーでタイムスリップして来たのでしょうか?
それとも文科省の出している文書をキーワード拾い読みで誤読し・・・いや、まさか、まさかね。そんなブーメラン自爆を新井紀子に限ってするわけが無いです。
それにしても女神様、さっきからすごい気になってるんですけども。
「この状況を正確に無駄なく伝わるようにするにはどうしたらいいでしょう?」って格助詞の使い方おかしくないですか?
「この状況が正確に無駄なく伝わるようにするにはどうしたらいいでしょう?」
または
「この状況を正確に無駄なく伝えられるようにするにはどうしたらいいでしょう?」
だと思うんだな。東ロボくんの日本語能力の限界ってやつですかここ?
というわけで散々笑わせていただきましたありがとうございます。引き続きよろしくお願い致します。あ、また新井紀子に無駄な時間を使ってしまった・・・ホント釣り上手いよなあ。