ノルマ、という言葉があります。
ウィキペディアでは日本語だけで立項されている日本ローカル概念です。
元々はロシア語 Нормаがシベリア抑留経験者によって日本に持ち込まれたとも言われますが、真相はわかりません。英語だとnorm(基準、平均)が近い意味ですが、日本語としてのノルマとはかなり意味が異なります。
例えば日本だと売上とか食物摂取量といったものにも「ノルマ」が設定されて半強制となりますが、英語normにそんな意味や使われ方はありません。
むしろ近いのはquota(割当量)ですね。これは経営学上の概念production quota(基準生産量)として企業経営にも用いられています。フレデリック・テイラーが100年ほど前に考案した考え方で、労働者の平均的な作業量を統計的に算出し、これを超えれば報酬増、これを下回るとペナルティで減収という形で労働者の動機づけを行いました(現代日本では労働の成果が基準未満であっても、それを理由に給料を減らすことは法律違反ですからやらないように)。
が、これは工場労働のように手を動かせば確実に成果が積み上がっていく類の労働の管理において有効な手法であって、売上のように成果が個人の作業量と正比例しない数値の管理には使われないようです。
売上のような数値において用いられるのはobjective(目標)という言葉です。objectiveを用いた経営をMBO(Management By Objectives)と呼びます。
以上が議論の前提としての言葉の整理。
私が理解出来ないのは、統計的裏付けを欠く気合いオヤジの妄想の数字がquota化して、「営業ノルマ」とか呼ばれて売上目標として設定されてしまう理由です。しかもあれ、無茶な数字を威勢よく上司の前で吹かしてご機嫌取りするとかいう小技もあるもんなあ。
売上はquotaではなくobjectiveの概念で取り扱うべきであり、そのobjectiveは市場や過去データの分析をきちんとやって、気合いや妄想やお花畑ではなく科学として設定すべきじゃないのかと私は思うわけです。そのためのツールなど山のように出ているし、値段も安いし。
もちろんよほど運が良くなければ、妄想の売上を割ってquotaにして営業パーソンに配分してみたところで、その妄想は実現しません。先述のように日本ではquota未達への懲罰減給は禁じられていますから、その手は使えない。賞与や昇給で差をつけられるならばそれは効果が出るでしょうが、業界によっては賞与も昇給も元々ほとんど無いようなとこもあるわけでして、そんなところで売上quotaを設定したって動機づけが出来ませんから誰も動きません。それでもやらそうとすれば出て来るのは売上ではなく退職願です。
今は人手不足だしね。
にも関わらず、それでも「ノルマ」が効果的であると信じられる人というのは、それはもはや宗教だと私は思います。宗教には信憑構造plausibility structureが必要です。信憑構造というのは、その宗教の教義が語る世界観が真実であると、信者に確信させるもののことです。
それは一体何なのか。
上の無茶振りを現場が何とかしちゃってきた日本近代史のあれですかね。それを現場力とは呼びたくないな。