更地写真よりも見積もり書というのは言ってはいけないことでしょうか?

今日は東日本大震災の被災地の中でも、更地の状態で3年目を迎えた場所の写真が大量に流れてきています。

敢えてひどいことを言います。

デザインのレベルが低いです。多くのマスメディアが同じ発想・同じデザインでコミュニケーションを試みているように思えます。ここで行われているコミュニケーションは、美人の写真を見せて「この人、綺麗でしょ」と同意を求めているのと同じレベルの、かなり情緒的な、あるいは身体的な反応しか引き起こせないものです。

もちろん、それを目的としてやっているのならば、更地写真集は正しい方法です。

一方、何故そういう状態なのか、そこをどうしたかったのか、何故そのように出来なかったのか、そのプランはそもそも実現可能だったのか。そのような、事実と論理に基づいた情報は、これらのデザインでは全く伝わりませんが、本当にそれでよろしいのですか?

「これだけの資金と人材があれば、それをこのように使ってこのようなものを作りたいので、投資・融資・寄付をお願いしたい。その実施主体はこれ、見積もり一覧はここ、スケジュールはこんな感じ。」

性格の悪い私は、更地写真よりも上記のような情報こそ目にしたいです。