立教大学の写真部と明治大学のカメラクラブが合同で開催しているグループ展「立明展」を見てきました。
内容はですねえ・・・・・・・・・正直に書きます。レベル低い。
もちろん、これはというフォトグラファーもいましたよ。明治の1年生の萩原さんという方の2枚、特に撮り鉄な1枚は良かった。オリジナルプリントで5000円くらいは出して良いな。受付の真横にあった立教の4年生の大判ポートレイトも良い。部室で焼いたそうですが、プリントのクオリティも良いし、作品の仕上がりも、ああいう場で世に問うものとしての当たり前のレベルをクリアしている。フィルムのコマを破いたか焼いたか風の加工をしたプリント(明治かな?)も、アイデアは森山大道『写真よさようなら』以来40年の歴史と伝統があるものでしたが、とりあえずプリントのクオリティが良いしピントもきちんと合っていた。私は好きじゃないですが、ああいうのが好きな人もいるだろうし、そういう人にはきちんと評価してもらえるクオリティに達していたでしょう。
あとは、ねえ。
うちのゼミ生のブックは、せっかくの素ン晴らしいポートレイトを生かし切れていない感が強かったし(中には本当に極上のコマがあるんです。4切りオリジナルプリントで1万までなら出して良いようなのが)、他のブックは・・・・7割は要らないコマだろこれみたいな。
本当にごめんなさい。私の感覚がおかしいのかもしれませんね。でもだめなんだ。皆さんを「学生だから」とか「歴浅いから」という理由で割り引きしてハンパもんとして扱わないとするならば、今日見た中で良かったのは萩原さんの作品と、受付横の作品と、あとブックにしたときスベったけどうちのゼミ生のポートレイト数枚。これらは美と芸術のアリーナでハンデ無しでその価値を問うことが出来るし、私は蕪村や等伯やバルデス・レアルの作品と同じ土俵で「この作品にしか無い価値が確かにある。これはカネを出して買う価値がある。」と論陣を張れる。
本当だよ。今挙げた作品、売りたかったら連絡ください。即金で買うから。あとの作品は・・・・・・。例えばトヨタ車のハンドルを美しく写した作品ね。あれはタイトルだけじゃ難解過ぎですよね。中平卓馬のタケノコ写真だって中平ってフォトグラファーの名前が無ければ無価値でしょ、あんなもん。誰でも春に山に入れば撮れるんだからあんな写真。あれは中平が「植物図鑑」というコンセプトを40年前にやっていたから、「なるほどこれが植物図鑑の人が撮った植物図鑑写真か、ははははは」と笑うことが出来る。そういうネタ的価値だけがある。
もしかしたらトヨタハンドル写真は中平卓馬の植物図鑑を引用しつつ、「新車解説書写真」をやってみたのかもしれません。でも、それだったら、そのコンセプトがわかるようなヒントが無いと駄目でしょう。あなたは中平卓馬じゃないんだから。
あとですね。皆さん、作風が古いっすよ。これだけデジタルデータ加工が誰でも自由自在にやれるようになった時代に、1970年代みたいなセンスの写真が大半ってのはどうなんでしょうか? もっと凄まじい、昭和生まれのハゲの予想を遙かに飛び越えていくようなトンデモナイ写真表現を見たかったです。はい。現役の大学生が団塊カメ爺みたいな写真並べてどうする。