一昨日くらいに書いた記事に、かげ塾長から面白いコメントをいただきました。何故、人を殺してはいけないのか? それは「強者が強者であり続けるため」だと。
これは面白いですね。なるほどと思った。
塾長の言わんとするところを、この短いコメントから正確に推測することは難しいのですが、私なりに考えると、次のような解釈となります。
ここで言う強い弱いというのは、権力や財産をどれだけ沢山持っているかという点に注目してのことではないはずです。むしろ自分をどれだけ厳しくコントロールすることが出来るかが問われています。
自分の持つ嫉妬や怠惰、貪欲、怒りといった感情、情動に簡単に負けるのが弱い人。そういうものを高いレベルでコントロール出来るのが強い人。人間社会に数々のルール、特に刑法が存在しているのは、一つにはそういったものによって、例えばキリスト教で言う「七つの大罪(傲慢・嫉妬・怒り・怠惰・強欲・暴食・淫蕩)」に堕ちる人が減ることを期待しているからですね。モーゼが神に与えられたという「十戒」も、後半の五つはこれ関係でやっちゃいけないことを並べてあります。六つ目に出てくるのが「人を殺しちゃいけません」という条項。
では、その条項を解除したらどうなるのか?
セルフコントロール能力が弱い人が、そうでない人を殺しちゃうことになりますよね、普通に考えて。そりゃやばいですよ。有為でレアな人材が無駄に命を落とすことになるんだから、人間社会そのものが立ちゆかなくなる。先頭切って風除けになったり藪こぎをしたりしてくれる人が減っちゃうんだからね。野党になってからの自民党を見ていると、「弱者は他人の足を引っ張ることしか思いつかない」というのがよくわかりますし。
なるほど。さすが塾長、上手いことを言います。そういう説明の仕方もあるか。さて、学生たちはどんな説明をしたのかなあ?