2時間半使って「ソーシャルデザイン」をデザイン史から考えてみた。

昨晩あらためてバズワード化を実感した「ソーシャルデザイン」。
既に各種コンサルの皆さんの当面のメシのタネとして利活用されている感が強いのですが、何故私が「ソーシャルデザイン」ブームにクビを傾げているのか、その理由を簡単に整理してみます。

といっても長いですけどね。通勤中の皆様はスポーツ新聞の代わりにでもお読みください。

さてそもそも、デザインという概念はどこで生まれたのでしょうか。語源は西欧の主要言語がそうであるように、ラテン語です。ラテン語のdesignare。現代日本語の口語表現に置き換えれば「書き起こす/描き起こす」とでもなりますか。何か思いついたことを紙に書く/描く行為です。

この言葉が今のdesignに向かって分離独立発展を開始したのは19世紀後半、ビクトリア女王治世下のUKです。この時代のUKといえば産業革命を経て「世界の工場」状態のまっただ中であり、工場生産の各種商品が巷に溢れかえっておりました。とはいえ安かろう悪かろうの商品ばかりで、今皆さんがIKEAや無印良品やえーとなんだっけニコス・・・ココス・・・・ニトリ? ニトリですね。ああいう店に行って目にするような見目麗しい外見の生活雑貨の類いは存在しませんでした。

これに大変な不満を抱いたのが、ええとこのボンだったウィリアム・モリスという人です。彼は中世ヨーロッパのゴシック様式の教会堂建築に萌えておりまして、お金もあるからそういうとこを見て歩くと、そりゃ当然、外構外装内装調度品と、コストのたっぷりかかった職人仕事かつある範囲内の趣味で統一されていて美しい。そこでモリスは、世の中こうじゃないとあかんと考えた。趣味の統一された美しい職人仕事でトータルコーディネートされた住空間ですね。そこから彼は室内装飾会社を起業してお金持ち相手に売り上げを伸ばしていくわけです。

つまりここで、工業製品の見た目を格好良くすると付加価値が増えるという現象が発見され、それを専門に請け負う職能としてのデザイナーが誕生したのですね。だからデザインはそもそも見た目、スタイリングやコスメティックスの部分での付加価値アップの手段として始まったとなります。

モリスの活動はアーツ・アンド・クラフツ運動として西欧各国に影響を及ぼし、特にドイツではドイツ工作連盟からバウハウスに至る工業デザイン運動の源流の一つになりました。このバウハウスというデザイン学校で生まれた考え方が、工業製品の見た目と機能を連携させるというアイデアです。もの凄く簡略化して言うと、「機能的に優れた工業製品を設計して、余計な装飾を付けないで済ますと、機能性がそのまま見た目の美しさに繋がる」という考え方です。いわゆる機能美ですな。これが1920年代後半くらいです。

すなわち、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動でまず工業製品の見た目を美しくする仕事が生まれ、バウハウスで今度は工業製品の機能性や合理性を洗練させる仕事が「デザイナー」の職能に付け加わった。

さて1920年代最後の年と言えば、高校を出た人なら誰でも知ってますね。そうです。世界恐慌が始まった年です。不況になればモノは売れなくなります。まして大不況、恐慌なんて呼ばれるレベルなので、財布の紐は極めて固い。そこで始まったのが、工業製品に時間の概念を付け加えて魅力を高めるという発想。もっとわかりやすく言います。工業製品に「未来を感じさせる」と、売り上げが伸びるという現象の発見です。これを大々的にやり始めたのがレイモンド・ローウィやノーマン・ベル・ゲデスといったアメリカのデザイナーたち。当時のお約束はこれでした。

「流線型の外装は未来。反論は受け付けない。」

更にこの時期のアメリカでは、外装だけ変更して「新しい製品ですよ」と言って売ると、売り上げが伸びるという現象も発見されています。モデルチェンジによる「新しさ」の演出ですね。これも前項と同様、時間性をいじるデザインテクニックです。流線型が未来だったのとは逆に、仕様変更によって、こないだまで「現在」であった製品を「過去」にするという発想ですね。何のことだかわからなければiPhoneやiPadの頻繁なモデルチェンジ商法を思い出してみて下さい。

ここまでで出て来たデザイナーの仕事をまとめます。

1:商品の美的側面をコントロールする。
2:商品の機能性や合理性をコントロールする。
3:商品の時間性をコントロールする。

さて、デザイナーの仕事の領域は更に拡張を続けます。
次に出てくるのは、ココです。ココ・シャネル。フランスの女性ファッションデザイナーですね。彼女は第2次大戦前から既にデザイナーとして成功していましたが、第2次大戦後には英米で更なる成功を収めます。彼女の服がウケたのは、男性から見て美しいことを最優先するのではなく、女性が着て身体的に楽で動きやすく(=合理的・機能的)、それでいて見た目もイケていて、誰が見ても「あ、シャネル着てる」ってわかる識別性があり、それなりに高価でもあったから。

また新しい発想が出て来ましたね。

誰が見てもどこのブランドだか分かる。そして誰でも気軽に買えるようなものでもない。

ただ単に高価なだけなら、1点もの製作の最高級の衣類や雑貨の方が高いです。でも、量産品の工業製品でこれを実現したのは良いアイデアでした。「見せびらかし」消費の裾野がグッと広がった。というわけで、

4:商品の衒示性(見せびらかし機能)をコントロールする。

 デザイナーの皆様も考えることが増えてご苦労さまです。こうして商品の設計が単に材質や構造や寸法や加工・組み立て方法を考えることから、見た目を考え機能性を追求し時間性をチューニングし見せびらかし機能を設定しという形で、複雑多様化していったのが20世紀半ばから後半にかけての時期だったのです。

 ですが、デザインという領域の拡張は更に続いていきます。1980年代にはCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)という概念が、少なくとも多国籍企業の経営においては広く普及し、どんな手段で製品を作ってでも儲ければ正義、という具合にはいかなくなってきます。原材料調達から廃棄物処理に至るサプライチェーンの中でえげつないことをやって製造された商品は、ちょっと買いたく無いよねという消費者が増えてきたのです。そこで、商品設計に社会への配慮というものが加わります。五つめ。

5:商品の社会性をコントロールする。

 はい、ようやく、ようやく社会という言葉がデザインの中にそれっぽい形で出て来ました。ここまでで2635字書いてます。すげーな俺。

 話を「ソーシャルデザイン」に戻しましょう。
 例えば日本国内の製造業が価格競争で外国製品に押されて売れなくなっているから、ちょっと工夫した外見(←職能1)や機能(←職能2)を付加した新商品を設計し、今ブームの(←職能3)「ソーシャルデザイン」というラベルを付けて市場に出す。新しい付加価値を考えて左前の製造業に利益をもたらしたのでこれは社会性が・・・・あるって言うの? 商品の工夫や改良や新規開発はどの企業でもやっていることで、それで売り上げが取れれば従業員に給料を支払うことが出来る。そういう意味での社会性と、その「ソーシャルデザイン」ラベルを貼った商品の社会性。違いがあるのは、「ソーシャルデザイン」という新奇性を利用して「未来っぽさ」「新しさ」を商品に付加しているとこだけにも思えるんですよね。

 道具は必ず、それを用いることで何らかの課題を解決する能力を持っています。というか、何かの役に立つから道具なんです。何の役にも立たないものは道具とは言わない。その上で、美しさや時間性を適切に設定し、場合によっては見せびらかして楽しめるようなオマケも付け、世間様に顔向け出来ないようなことはせずに作る。そうして創られたモノやコトは必ず社会的に存在価値があるものになります。

 このように考えると、「ソーシャルデザイン」。

 やっぱバズワードじゃね?

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