私が立教大学文学部に入学したのは1990年でした。
当時の立教の看板学部は、なんと言っても社会学部。中でも社会学部社会学科が最高峰で、一番下に見られていたのが社会学部産業関係学科。産業関係学科の学生はよく自嘲して「アホの産関」と言っておりました。
月日は流れます。かつて栄華を誇った英米文学科は規模を縮小されて英米文学専修になり、難易度は新設の異文化コミュニケーション学部に抜かれてしまいました。
「アホの産関」は経済学部経営学科と統合され、経営学部として独立。今や入試難易度では社会学部を上回ります。ウェブサイトを見ても、活気に溢れています。新しいことにどんどん挑戦しているし、次々に成果を上げている。
一方の私がゼミを担当している社会学部現代文化学科はといいますと、直近の入試で偏差値がガクンと落ち、かつて59前後だったのが57強になりました。更に内部から進学してくる付属校生から話を聞きますと、「現代文化学科は人気無いです」「立教新座で自分、成績トップクラスだったんです。現代文化学科に行くと言ったら、周囲に不思議がられました」というような寂しい話ばかり。はては「社学ごときが経営の講義に出るなんて身の程知らずだった」「経営学部に転部出来るものならしたい」「うちの学科はオワコン(終わったコンテンツ)」なんて声まで上がる始末。
特に、溜め込んだエネルギーを爆発させたくて、でも爆発させる場所が見つけられなくて、うずうずしているような学生たちはそうですね。新しいことをしたい。どんどん外に打って出たい。そうして自分たちの力を思う存分に発揮し、限界に挑戦したい。そういう思いを持った子たちが、実は私の周りには沢山居ます。集まって来ます。ここなら何かやれるんじゃないか、こここそ自分を変えられる場所なんじゃないかと。
その思いにどうしたら応えてあげられるのか。新しいことや外に出て行くことに関して、ホワイトリスト(やって良いことのリスト)ではなくブラックリスト(やってはいけないことのリスト)を用意し、ブラックリストにあること以外は許認可の手続きを経ずとも現場担当者の判断でスピーディーに実行していけるような体制が必要なのではないかと痛感する今日この頃です。許認可手続きで失われる機会コストやマンパワーね。
塵も積もれば山となるんですよ。
もうひとつ気になるのは、今いる学生は本来ならば、将来長きに渡って大学や学部や学科の最強のサポーターになってくれるはずの存在ということ。就職活動におけるOBOG訪問は言うに及ばず、校友会からの寄付金(私も稲城多摩立教会の幹事ですよ)、子供が出来れば進学先の選択肢としてまず検討。そればかりじゃないです。私のゼミの教育活動は、何人もの立教の校友の皆さんに支えられて成立しています。インターンシッププログラムもそう。ですがそれもこれも、「お、良い教育してるね!」「あ、良い学生育てたね!」と思っていただけなければ二度目はありません。逆に、一度目で良い学生、良い教育だなと思っていただければしめたもので、サポートはどんどん強力になっていきます。
その学生たちをね、失望させちゃダメだと思う。一番アクティブで一番クリエイティブで一番情熱的な学生たちをがっかりさせちゃダメだと思う。何この学科とか思いながら卒業していった若者たちが、果たして後輩の面倒をどれだけ見るでしょうか。寄付金を入れてくれるでしょうか。自分の子供を同じ学部同じ学科に入れようと思うでしょうか。
頑張って欲しいなあ。