苦い記憶があります。
何年か前、とある国際的なプロジェクトがありました。単純に言うならば、ある国のある地方の政府が日本の広告代理店と組んで展開した観光キャンペーンなのですが、それまで日本では殆ど知られていなかったその地方の伝統文化を広く紹介する機会でもあり、私も全面的に協力しました。プロジェクトそのものは結果的に見るとまあ成功したと言えると思います。
ただ、そのプロジェクトの内外で見聞きしたものの中には、これは他山の石とすべきだなと思う風景もありました。今でも印象に残っているのが、おじさんたち。おじさんたちの発想ね。
私は結構そのおじさんたちが持っていない情報とか人脈とかコンテンツを持っていたので、プロジェクトが立ち上がるという話が水面下で動き始めた頃、おじさんたちからのアプローチがありました。自分たちの仲間にならないかと。私は、プロジェクトの意義に賛同していたので、喜んで情報やコンテンツを提供しました。
問題はその後です。おじさんたちは私から取れるものだけ取って何を始めたかというと、それを自分たちの仕事を取ったり作ったりするためだけに使い始めたんですね。若い者から情報は吸い上げるけど、それを還元するでも広くシェアするでもなく、自分たちの為だけに囲い込んじゃった。で、それに私が文句を言うと、今度は私の存在をプロジェクトから徹底的に消そうと動き始めた。
面白かったのは、そういう発想や動き方をするおじさんは揃いも揃って50歳以上だったこと。逆に50未満の40代、30代、20代の人たちは、情報や人脈をシェアしあうことでもっともっと良いプロジェクトに出来るよねという発想で動く人が多かった。そりゃもうきっぱり分かれてました。見事なまでに。私、あんまり世代論って好きじゃないですけれども、1960年くらいまでに生まれた人たちって何か「若者は上の人間の食い物にされて当たり前。だって自分たちもそうだったから」みたいなタテ社会の世界観がこびりついた感じの人、多い気がします。若者を育てるなんつっても実はアタマに背景同色のフォントで(おれたちにつごうがいい)と書かれてるの。
逆に60年代以降生まれって、(私の友達がそうなだけかもしれないけど)例えば20歳年下の若者でも、ちゃんとリスペクトして接することが出来る人が多いような気もする。おじさんに気に入られて取り立ててもらってる人たちは別ですけども。そういう人たちは「おじさんが若者を食い物にしつつ、お気に入りは目をかけて取り立ててやるシステム」の勝ち組なんで、今現在あまり自分の役には立たなそうな人に、概して冷淡です(笑)
何の話をしているかというと、これからが楽しみだという話。
1年ゼミ2年ゼミと私のとこで勉強して来年度は三浦ゼミに行くOくん。彼は私の3年ゼミが必要としているストリートカジュアル系アパレルの知識や空気感を知っている人材でして。で、「出来れば来年度もちょっとこっち手伝ってくれない?」と声をかけたところ、二つ返事で「面白そうですね、手伝いますよ!」と。間々田ゼミに行くけどこっちにも知恵を貸してくれるって学生もいます。ありがたいことです。
これからは「教師と学生」ではなく、「おっさんと若者のパートナーシップ」としてお付き合いいただくことになりますが、頼りにしてます。一緒に面白いものつくろう。